five finger photo

 

 

 

昔から極度の人見知りだ。

 

小学生のときはみんなの前で音読や発表ができなかった。
きっと失敗して恥をかく、笑われる、と考えたら怖くて声が出なかった。

 

泣きだした私を飛ばして次の人へ。
「泣けば済むと思ってる」「なんでできないの?」
発表しなくても結局恥をかく。ますます人目を怖がるようになった。

 

なんでできないの?

 

私が訊きたいわ。
教えてよ、なんでできるの?どうしたらできるの?

 

――松崎有理『5まで数える』表題作を読んで、あの頃の心の叫びを思いだしていました。

 

表題作の主人公・アキラも「数を数えることができない」という
マイノリティなコンプレックスを抱えながら
バレやしないかとビクビクしながら学校生活を送っている。

 

このおはなし、もしあの頃の自分が出会っていたら。
今より自分をもっと素直に受けとめていたかもしれない。

 

だけどあの頃の自分があの頃の自分を受けとめるよりも、
今の自分があの頃の自分を受けとめるほうが
きっと多くのことを理解して赦すことができる。

 

だったら今読めたことに感謝するべきなのかもしれない。

 

 

 

新感覚の“理系ホラー”をフルコースで召しあがれ


 

動物実験が禁じられた世界。
胡散臭い〈疑似科学〉を公開処刑する3人組。
卑劣な詐欺師に挑む科学者と奇術師の天才2人。
手錠でつながれた凶悪少年犯罪者たち。
「5まで数えられないと天国へ行けない」という伝承に怯える数学ができない少年。
大ヒットの日焼け止めを開発した女性研究者。

 

ホラーとSF、ココロと科学(数学)、文系と理系。

 

さまざまな融合で生みだされる化学反応、
その奇妙な味を6作の短篇で存分にご堪能あれ!

 

※あらすじは筆者のオリジナルです。
※Webちくまの特設ページでは作者による「おくすり説明書類ふう」作品紹介が読めます。
http://www.webchikuma.jp/category/matsuzaki
帯には「新感覚の理系ホラー誕生」とあるが理系はあくまでエッセンス。
核となるテーマはそれにとらわれない作品群なので文系も安心して読めます。

 

実際、理系はさっぱりな私でもスラスラ読めたし、
ユーモアとシリアスのバランスが絶妙でおもしろかったです。

 

表題作「5まで数える」と1篇目「たとえわれ命死ぬとも」がやっぱり群を抜いて好き。
だけど疑似科学バスターズの2篇や「砂漠」も海外ドラマ化したら是非とも観たい…!

 

以下、各短篇ごとの感想です。

 

 

 

科学と数学から垣間見える人間の本質


 

たとえわれ命死ぬとも:

 

「ぼくは、ひと殺しだろうか」

 

動物実験が禁じられた世界。
実験に許されるのはもはや人体だけだ。
命を賭してでも人類を病から救うと誓った、実験医たちの。

 

***

 

お、重すぎる…。

 

私たちの今は
途方も無い歴史と命によって築かれているのだという事実に打ちのめされ、
読み終わったあとぐるぐる考えて悲しくてちょっと泣いてしまったくらい。

 

時代という巨大な枠組みの中では人間の一生なんてあまりにも短い。

 

今を生きている人間が今だからできること。
それは歴史に終止符を打つことではなく次世代につなげること、
歴史を保持することではなく
未来へ残りつづけるために時代に適応させていくことなのかもしれない。

 

過去と未来どちらが優れているかではなく、
過去も未来も見える「今」だからこそ
新旧のいいところを上手く融合して
次世代に語り継がれるものを作っていくべきだと思うのだけれど。

 

 

 

舞台は動物実験が禁止となった世界。
動物の権利について以前本を読んだとき感じたのは、
動物すべての命や権利を守ることは人間にはできないってこと。

 

人間は、神ではないから。

 

なにもかもを守ろうなんてきれいごとより、
守れるものと介入するべきでないものとを
ある程度覚悟して明確にするほうがよっぽど現実的で人間らしいのでは。
私が読んだ本ではそれを「野生動物」と「境界動物」と呼んで考えていました。

 

 

 

 

最後のほうになってくると
哲学における帰結主義と義務論の衝突のようにも読めて、
結局は最初の頃の大良のように
みんな自分のまわりの小さな世界(主観)と社会全体で見る大きな世界とを履き違えている。

 

今読んでいる倫理学の本には、
どちらか極端に考えるのは不自然なことで
結果も動機も重要で勘案すべきだって書いてあったんだけどなぁ。

 

作中で動物実験に反対していた人たちは
家畜や食肉についてはどのように考えているのかぜひ意見を聞きたいところ。

 

 

 

やつはアル・クシガイだ:

 

「この国は盲信に覆われている」

 

疑似科学で人々を騙す卑劣な詐欺師を
次々と論破して国民を盲信から救おうと闘う疑似科学バスターズ。
新たな指令は隣人が「アル・クシガイになっちまった」ことで起こった殺人事件!?

 

***

 

思考実験の本を読んだときに、
「科学的根拠」だって人間の枠組みの中でだけ機能するもので
完全でも真理でもなんでもないんだよなぁなんて思っていた。

 

結局、人間の思いこみとか差別意識みたいな信用面が
根本的に改善されないといつだって魔女狩りは起きる。
このあいだ読んだ「電脳マジョガリ」狩りだって
現代のネット社会が生んだ最新の魔女狩りだったじゃないか。

 

今は一人ひとりが簡単に主張できてそれがあっというまに伝播する時代。
人々にはよりいっそうのモラルやリテラシーが求められている。

 

個性や表現の自由はもちろんれっきとした権利だし悪いものではないけれど、
誰だってなにかしらのコミュニティに属しているという自覚と、
マイナスからはマイナス/プラスからはプラスが生まれやすいのだから
「正直者がバカを見る」なんて言わずに
人を信じ人に信じられる環境に身を置く心がけが大切なのではないかな。

 

知恵だけ発達したって、
人を思いやれる心が成長しなきゃ
どんな知識を詰めこんだってやることはおんなじでしょう。

 

人を疑えばまわりまわって
人を騙して誰かの猜疑心を生むきっかけになって負の連鎖は終わらないよ。

 

 

 

バスターズ・ライジング:

 

「魔法はけっして起こらない」

 

疑似科学によって大切な人を失ったとある科学者。
交霊術で大切な人を失ったとある奇術師。
2人の天才が卑劣な詐欺師を追いつめる〈疑似科学バスターズ〉誕生の物語。

 

***

 

疑似科学バスターズおもしろいじゃん、シリーズ化してもよかったのに。

 

「科学はすべてに説明を与え、夢を壊してしまう。
虹がなぜ五色に輝いているのか、
秋になると木々の葉が金色に染まるのはなぜか、
原理を説明されたら神秘性が薄れるだろう。
だから科学は、科学者はきらいなんだ」

(中略)

「あなたがつくる夢って。説明されたくらいで壊れてしまうようなものなの」

(P112/L15~20より引用)

 

このホークアイとパディの会話はとても印象的でよかった。

 

マジックを見るとき
タネを暴こうとする人と純粋に楽しむ人とがいるけど、
どちらがどうというわけではなくて、
タネがわかってもわからなくてもその時間を楽しめることがなにより大事なこと。

 

私はセロみたいなマジックもマギー司郎のマジックも好き。

 

 

 

砂漠:

 

「つかまるのなら、死を選ぶ」

 

墜落事故で砂漠に放りだされた少年たち。
詐欺師、強姦魔、殺人犯…彼らは皆凶悪少年犯罪者。
地獄のサバイバルで最後に笑うのはどんな「悪」か。

 

***

 

ウィリアム・ゴールディング『蝿の王』を思いだした。
世界観に入りこめずに途中まで読んで投げだしてしまったけど
他のサイトでおすすめされていたし今度は最後まで読もうかな。

 

まわりが犯罪者であることで目立たないけど、
犯罪者というのはどんな程度であれ正気ではないから
こういう場合は冷静であることのほうがよほど狂気を孕んでいるし、
狂った人間を見るより狂ってしまったほうが楽なのだから詐欺師は災難だった。

 

冷静に、冷酷になることが生き延びる術なのだとしたら、
もういっそ狂ってさっさと死んでしまったほうがマシかなぁ。

 

みなさんはどう思いますか?

 

 

 

5まで数える:

 

「わからないのは恥じゃないの」
「恥なもんか」

 

数を数えることができないゆえに数学が苦手なアキラ。
「5まで数えられないと天国へ行けない」という伝承に怯えていた彼は
教会で出会った子供好きの“数学者の幽霊”に導かれ数学の扉を叩く――。

 

***

 

数学は苦手なんだよなぁと
電車の中でウトウトしながら読んでいたのだけどこれはダメだ。
めちゃくちゃいい話じゃないか!人目も気にせずポロポロ泣いてしまった。

 

読んでください。

 

作者でもなんでもない読者の分際で言うのもなんだけど、
最悪、他の話はあとまわしでもいいからとにかくこれだけは読むべき。

 

数学をベースにしているけれど学問・人間の本質を説いた物語。
人生を変えるほどの衝撃的な作品でした。思いだしただけで涙が…。
マーク・ハッドン『夜中に犬に起こった奇妙な事件』にテーマは似ています。

 

 

 

最近つくづく思うのは、
人間にもっとも大切なのは愛嬌なんだろうなって。

 

で、
愛嬌というのは人に愛される要素のことで、
人に愛されるには人を愛さなければいけない。
人というのは他者だけでなく自分も含まれる。
これがきちんと両立できている人はじつはそれほどいないんじゃないかな。

 

ここで心の柔軟性が問われるし、
柔軟であればあるほど
あらゆることを受け入れられる要領が増えていく。
それがいずれ人との縁につながっていくんだろう。

 

 

 

私にもアキラのように
あまり大きな声では言えないようなコンプレックスがある。

 

世界が変わらなくたっていいから、
こういう想いを抱えた子供たちをとりまく環境、「小さな世界」が、
どうかあたたかい場所で支えであってほしいなと切に願っている。

 

 

 

超耐水性日焼け止め開発の顛末:

 

「ぜったい汗で流れないんだよね」

 

部長のむちゃぶりをきっかけにヨーコが開発した超耐水性日焼け止め。
商品について「礼が言いたい」と利用者から声をかけられるほど人気なようだ。
しかしうれしくなる反面、なんだか、彼には奇妙な違和感も覚えていた……。

 

***

 

世の中が便利になればなるほど巧妙に悪用する輩も出てくるもの。

 

最近独立に関する本を読む機会があって、
そこには心がまえとして(独立後の)最悪のパターンを想定しておけ、とあった。
なるほどこれは大切なことなのだな、と、絶体絶命のヨーコを見てしみじみ。

 

成功パターンは思い描きやすいけれど、
失敗パターンを人はあまり考えないし考えようとしない。

 

自分のことであっても
俯瞰して冷静に分析できる人が成功しやすいんだなぁ。あたりまえか。
それができるということは臨機応変に対処する準備ができている柔軟な人なのだから。

 

 

 

学問の基礎は理系なのかもしれない


 

以前、
おたがい大学は文系だった私とその人とで
大学で学びなおしたいねという話になった。

 

次はなにを、と訊いたら、理系を勉強してみたいという。

 

「学問って、理系があって、その先に文系がある」

 

理系的な(論理的な?)考えかたが基礎にあって、
そこからより専門的な知識や文系学問に枝分かれしていくのではないか、と彼は説いた。

 

私はこのとき次は哲学を学びたいと答えたが、哲学だって、
たしかに理系的な運びかたで論を構築していると最近は本を読んで実感している。
大好きな宮沢賢治だってその作品群の中で科学は大事な要素の1つではなかったか。

 

数学や科学を通して人間の本質が垣間見える、
文系と理系の奇妙なようで密接なつながりを感じる本書を携えて。
近いうちに「言ってること、あながち間違いじゃなさそうだね」と彼に伝えに行こうかな。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。