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坂木司『鶏小説集』を読了。当ブログにおける最古の記事『肉小説集』の続編(第2弾)です。なつかしさのあまり軽率な気持ちで記事を読みかえしてみたら文章力が幼児レベルでのみぞおちのあたりに強力な黒歴史パンチを喰らってしまいました。早急に『肉小説集』を再読して感想記事を書こう。なにこのぐちゃぐちゃ体裁。もんじゃ焼きか。2015年に私に読まれた小説たちかわいそうすぎる。月1ぐらいの間隔で再読して記事を書きなおす救済企画をやるべき。

 

 

 

鶏肉は正義だ

トリドリな物語。旨さあふれる「鶏」小説を召し上がれ

 

「トリとチキン」…似てるけど似てない俺たち。思春期のゆらぎと成長を描く/あげチキ
「地鶏のひよこ」…地方出身の父親と、都会生まれの息子/地鶏の炭火焼
「丸ごとコンビニエント」…コンビニバイトの僕が遭遇したクリスマスの惨劇とは/ローストチキン
「羽のある肉」…高校受験を控えた夏。彼女と二人で出かける/鶏手羽の照り煮
「とべ エンド」…死にたがりだった漫画家。そのエピソードゼロとは/鶏ハム

 

※あらすじはKADOKAWAより引用しました。

https://www.kadokawa.co.jp/product/321701000300/

 

前作を読んだのが2年前なのであまり記憶がないけれど、本作は全編の空気に統一感があり、また主人公同士ほのかなつながりを感じるので、もちろん期待して読んではいたけど想像以上におもしろかった!前作は主に「武闘派の爪先」のせいでそういうのまったく感じなかったからなぁ。あとがきの鶏肉に対する作者の考察にもグッときました。鶏肉ヲタ大勝利。やはり鶏肉は正義だった。ちょっくら脳内ファミマでファミチキ買って祝杯をあげてきます。あ、セブンのからあげ棒も捨てがたい…ええいままよ!(どっちも買う)

 

以下、各短編の感想をまとめました。

 

 

 

クセがない鶏肉は退屈かい?

トリとチキン

外見は似ているが趣味はてんで正反対のハルとレン。美味しいごはん、美人な母親、馬のあう父親。理想的な家庭を目の当たりにし、庶民的な自分の家や家族に辟易するハルだが、一方のレンはそんなハルの家をいたく気に入っている様子。あるとき「入れ替わってみたい」とレンに持ちかけられ不安を抱きつつも承諾したハルだったがこのひとときをきっかけに2人の心は揺らぎはじめ――。

見た目そっくりな他人同士が思いつきで入れ替えって、肉小説集がのっけから「?」な作品だった前例があるせいで世にも奇妙な物語ルート(しかもコケる)かとヒヤヒヤしたけれどそんなことはなかった。むしろ名作。ハルとレンの距離感が絶妙で読みながら何度も「Good…!」と悶えていました。映画「セトウツミ」みたいな男子高校生の距離感ってすごく好きなのでたまらん。

 

焼き鳥も揚げチキも中身は鶏。どこの家族もしょせんは〈個〉の集まり。わかりあえないときもあるし、だからこそ、自分の都合のいいように見えるよその家族が羨ましい。だけど本質は同じ。みんな窮屈な鍋の中でじわじわと油で揚げられていつかは“沸点”を迎える。油から取りあげられたそれが美味いかどうかはまた別の話。油や沸点はもう関係ない。

 

あなたはなにになる? 美味しい唐揚げに私はなりたい。

 

 

 

地鶏のひよこ

「息子のことがあんまり好きになれないんですよ」夜中のコンビニで息子が通っていた英会話教室の保護者・浅野と出会い、正直な気持ちを吐露してしまった橋本。責めろよ、と思っていたのに、浅野から返ってきたのは「同じです」という意外な言葉。好きなスポーツも、好きなゲームも、好きな食べものもまったく違う“合わない”息子。なんのために育てたか。浅野の問いかけに橋本は――。

橋本さああああん(泣)

 

最後の行でぐわっと身体が熱くなった。あれこの感じどこかで…と思ったら、前回の『BAR追分』だ。父親話に弱すぎ。自分の理想の父親像みたいなものを重ねてしまうんだろうか。いやいや、私の父親も距離感的にはまぁまぁちょうどいいけど。

 

男家族ってわからない。〈異性〉の壁が完全には理解できないことを突きつけてくる。父と兄が2人で話すときにまとう空気は、混ざれないし、混ざってはいけないような気配がある。兄を語るときの父や母の顔を見ると、兄に比べて出来の悪い私はときどき、羨ましいな、とひっそり思う。

 

どちらが両親にとって理想どおりなのかは子供側の私たちにはわからない。だけど、家族とのつながりかたはいろいろあってそれぞれでいいんだと思う。モモでもムネでも、味は違えどチキン南蛮はチキン南蛮だから。

 

まさか「トリとチキン」に繋がると思いませんでした。ますますレンとハル尊い。将来家族をもつことになったらまた改めて読み返したい作品です。

 

 

 

丸ごとコンビニエント

これといったこだわりもなく、なんでもそこそこにこなす、〈浅くて広くて便利な田中〉。使い勝手のいい彼はバイト先のコンビニでも当然クリスマスから正月までシフトがぎっしりでおっさん(長内さん)とテンチョーに囲まれながらチキンとケーキを売っていた。生々しくも惹きつけられるローストチキンに食欲を掻きたてられながら、一方、町内ではサンタクロース姿で鉈を持った不審者の姿が目撃されているようで――。

前作のハムのおはなしに微妙にリンクしているのかな。まさか不審者の存在だけでなく主人公が危ない性癖に目覚めるんじゃないかとヒヤヒヤするところまでリンクしてくるとは…。想像していた展開にはならなかったけど想像していたとおりにならなかったことに心底安心しました。

 

でも、生々しさを知らないのは本当だ。

(P149/L17より引用)

 

きれいな世界で育ったタカナ君がグロくて生々しいローストチキンに魅せられたように、誰にだって、どこにだって、「きれい」ではない深くてせまいところがあって、そこに生々しさがあって、両者は理性と本能の関係なのだと思う。どちらも共存してこその人間。きれいな世界で育てられて、本質や本能にレッテルを貼ったり蓋をしたり、目隠しをして生きている私たちは、本当に生きているといえるんだろうか。

 

読後は思わずHellow Sreepwalkersの「ハーメルンはどのようにして笛を吹くのか」という曲を聴きました。全体の作風にはあまりマッチしていないのですがP139でローストチキンを見たときのタカナ君の心情やP148~P149のやりとりは歌詞に通じるものを感じます。この曲聴きながらあのシーン思いだすとゾクゾクする。

 

 

 

羽のある肉

面倒な新聞委員に“うっかり”立候補してしまった井上竜太は、あれよあれよというまに女子と2人で、しかも一番面倒クサそうな花火大会の記事を作成することに。ついていないと思っていたけれど、村岡美咲は見た目が子供っぽいものの、なんだか妙に馬があう。そして取材前の打ちあわせの日、夕立に襲われて逃げてきたアパートの軒下で竜太は“うっかり”――。

中村航氏の小説みたいなゆったりとした恋のおはなしで瑞々しかった。美咲ってマジか!気づかなかった!なるほど、それをふまえて改めてP202の美咲の言葉を反芻するとなかなか味わい深い。

 

男家族はもっとも身近で接する異性だからモロに好きなタイプに影響するのわかる。ツンデレを極めし者(兄)と絶対王政(父)を見て育ったので私も“王子様”には憧れちゃうなぁ。ここ最近一番グッときた男の子はワイルドな漢らしさとスマートな男らしさを合わせもったペルソナ5の主人公です。切実にフィギュア欲しい。

 

理想とか好きなタイプとか言いますけどね、結局、そんなもの暫定的なものなんですよ。現実になってからでないとわからない。その現実を捨てれば過去になるし、育てれば夢や希望になるし、大仰な言葉だけど、実際はそんなものなんだと思います。

 

食べたら食べたで少量でも肉はあるし、食べなくてもダシになる。肉かダシか。現在価値か将来価値か。竜太の前にあらわれた手羽先は、さて、どっち?

 

 

 

とべ エンド

「子供殺そうよ、子供」編集者からそそのかされて描きあげたエピソードに批難の声が殺到し、編集部に呼びだされた『皆殺しレクイエム』の作者・戸部。次の連載分からは元の路線に戻すように、と編集長に頼まれ帰路についたが、次は誰を殺そうか、と思案しているうちに意識は高校を出て最初の夏、〈鶏ハム〉を食べに押しかけてきたバキ君と過ごしたあの日へ飛んでゆく――。

もとから受け入れられていない世界だ。後のことなんて考えるな。

(P248/L7より引用)

 

読んだとき心の中にドッと風が吹いた。いや、ここは編集長の言葉どおり「駆けた」というべきか--とにかく身体を貫くほどの串刺しの爽快感があった。

 

バキ君のように世間から疎まれるようなキャラクターは、社会性を犠牲にするかわり、とても欲に忠実で“自分が”快か不快かという明確なものさしで物事を決めることができる。第3話の感想にもつながってくるけれど、それはじつに本能的で人間クサく、理性や秩序に縛られる私たちが遠巻きに彼らを指差す理由の1つに、そうした部分への羨望もあるのかもしれない。

 

砂糖、塩、コショウをすりこんだだけの鶏ハムだって粒単位で考えればまったく同じものなんてそうそうつくれない。同じことのくりかえしのようで、わからないまま、だけどたしかになにかは変わっている。

 

誰にとっても美味しいなんて、どだい無理な話だ。それならせめて自分にとって美味いものをひたすらにつくりつづけよう。私の人生を丸々1匹食べられるのは、他の誰でもない、私だけなのだから。

 

 

 

人生は色鶏々(とりどり)

鶏。羽を持ちながら空を飛ばない鳥。それはチキン=臆病者なのか、はたまた、地に足ついた今を選んだことへの代償なのか。自由への憧れと不自由な現実との葛藤うずまく色鶏々(とりどり)の5編に散りばめられた羽をむしった剥きだしの言葉に心地いいトリハダがたつ大変美味な1冊。ごちそうさまでした。次は牛小説集かな?

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。