笠井がこわい -『よるのばけもの』を考察する-
2017年4月4日
!ネタバレ注意!
本記事は住野よる『よるのばけもの』を独自に解釈した考察記事です。作品の結末および深い部分まで引用やページ表記(例 P123/L4)をしながら書いているので作品既読の方またはこれを承諾する未読の方が読むことを推奨します。また、記載される内容はあくまで筆者個人の意見です。以上のことに同意していただける方のみ続きをお読みください。 |
笠井は、まぎれもなくこのクラスの中心人物だ。
(P80/L2より引用)
挨拶をすれば教室中が反応。口を開けば誰もが注目する。一見すると、笠井という少年は文句なしの好青年で人気者みたいに描かれていますが、おい笠井、騙されないぞ。本書は主人公・安達の一人称で書かれたものであり、つまりこれはあくまで安達から見た笠井の人物像なんだ。安達の評とは裏腹に、文脈の陰からはきみの陰湿な圧力、支配、狡猾さが見え隠れしている。
ということで、住野よる『よるのばけもの』を読んだら最初から最後まで笠井がとんでもない強キャラだったので、考察という形をとりつつ、笠井がこわいという話を延々しようと思います。
笠井と安達の弁証法
私が笠井を、嫌だな、と思ったのはP22から――そう、初登場シーンからずっとこわかった。
下駄箱でわりと重いパンチをくらった。
(P22/L6より引用)
たったこの一文から、笠井と安達のあいだに友情ではない力関係があるのを感じていました。
挨拶とはいえ(“重い”パンチを挨拶にする時点でこわい)、殴られた安達がたとえば「いてーなww」などと茶化してみたり嫌味の1つも言わないのは、この力関係、すなわち自分が笠井の格下であることを安達自身がきちんと自覚しているから。
「真面目だからなぁ」
「そうだよ、笠井じゃねえんだから」
「はぁ?」
そこで、急に、笠井の表情が険しくなった。
たまにあるのだ。
ごくたまにだけど笠井は俺がいじると、急に不機嫌な顔になることがある。
(P130/L16~P131/L3より引用)
さも上手く立ちまわっているかのように、余裕があるように安達は読者にふるまってみせますが、これはある種の共依存のようにも見える。「ごくたまにだけど」なんて言いまわしは、まるでDVの被害者が「彼、普段は優しいんだよ」と加害者を擁護しているように聞こえてしまう。
どういう言動をすれば安達が自分の思いどおりに動くのか。笠井はそれがわかっていて、わざと反応を見て遊んでいる。一方で安達もそれがわかっていて、あえて甘んじている。なぜなら笠井に従属していればクラスでの地位は安泰だから。そんなふうに私には見えるのです。
「はっきりしたんだ」
「え?」
「あいつが中川の上靴をやったってはっきりしたんだろ?」
(P134/L5~7より引用)
矢野が悪いという空気の中、あえて矢野犯人説に苦言を呈することで、自分の発言がどれだけ簡単にクラス(中川)の流れを変えられるか試してみると同時に安達に「自分はむやみに矢野を攻撃しない(俺いいやつだろ?)」という姿勢を見せつけることができる。ヒエラルキーの頂点に立つ者にとってクラスの風潮に意見することくらい造作もないというわけです。こういうところ、要領がいいというか世渡り上手というか。なんという策士。こわすぎ。
陰湿!圧力!支配!狡猾!と散々言っておきながら自分も陰湿にこきおろしてしまったので、この章の結びは笠井も人間なんだぞとアピールして締めようと思います。
斎藤環『承認をめぐる病』という本の中に「主人と奴隷の弁証法」という用語についての説明した一節があるのですが、
ラカンは彼の「鏡像段階」理論を構築するにあたり、ヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」を精神分析に導入したことで知られる。これは、主人と奴隷がいわば一種の共依存関係にあり、主人は奴隷を支配しているかにみえて、実際には奴隷の労働と承認なしには生きていけない、といった逆説をはらんだ関係を意味している。
(斎藤環『承認をめぐる病』P44/L14~P45/L1より引用)
これは笠井と安達、また笠井とクラスメイトたちにも当てはまって、安達やクラスメイトたちを意のままに支配することで笠井は〈クラスの中心人物〉という承認にぶらさがって生きている。権力者のようでありながらその実、彼もまた弱き心をもつ人間である。根っからの悪いやつじゃないよ、と考えることもできるのではないでしょうか。
矢野が見ていた景色
さて、作品を考察するうえでなくてはならないのが、P225における矢野の意味深な発言。いじめるのが好きなふりして、本当は誰かを下に見ていないと不安で仕方ない女の子。頭がよくて、自分がどうすれば周りがどう動くか分かって遊んでる男の子。喧嘩しちゃった元友達がひどいことされてて、仲直りも出来なくて、誰に対しても頷くだけしか出来ない癖に責任を勝手に感じて本人の代わりに仕返しをしてる馬鹿なクラスメイト。――これらはいったい誰のことを指していたのでしょう。
1.不安で仕方ない女の子
おおむね中川と解釈されそうですが、よそと一緒ではつまらないし、あえて井口だと考えてみます。
実は、中川のことが前から苦手だった。彼女は、自分の顔の派手さに自負があるからなのか、なんなのか、自分より劣っているとみなした人を傷つけることを怖がらない人間だ。
(P135/L9~10より引用)
安達の独白から中川の可能性もあるように思えるけど、うーんどうかなぁ、下駄箱での様子を見るかぎり矢野が言うような「いじめるのが好きなふり」をしているわけではなさそうだし、なにより中川はここで挙がるほど本編において重要な人物ではないのでは?
一方、中心グループにそそのかされて矢野のノートに落書きをした井口は、安達に打ち明けていたとおりこの一件に罪悪感を抱いています(P87)。井口説として考える場合、“ふり”というのは「矢野をクラスの一員だなんて思っていない証明として、ノートにひどい言葉を書くように言われた」(P88/L1~2)のを「断れなかった」(P88/L2)という部分をあらわしているのかな、と。「誰かを下に見ていないと不安」という部分が弱いのが難点ですが、誰か(矢野)を下と見なさなければ今度は自分がターゲットにされてしまうのではないかという傍観者の不安をあらわしている、と考えれば、どうにかひとつの説にできそう?
矢野が井口を〈あっちー君の好きな人〉と認識している=本編において重要な人物であるという点から、あえて井口説を唱えてみましたが、どうでしょうか。
追記:改めて矢野の言葉をふりかえってみると中川、というか、中川をはじめとする(井口も含む)矢野いじめの傍観者を全体的に暗喩しているようにも読めるかな。考察するうえでここが一番難しかった気もします。未だに明確な答えが出ません。参考にならなかったらごめんなさい! |
2.遊んでる男の子
これは笠井で間違いないでしょう。加えてP145の「きっと彼には好きな人なんて一生出来ないって思う」という部分までもがもしも核心を突いているのだとしたら、笠井は緑川を利用して“好きな女の子(という設定)”が矢野にひどいことをされた→クラスの中心人物である自分は怒っている→笠井の意を察したクラスメイトたちが矢野をいじめる、という矢野いじめの流れを組みたてた張本人という仮説も成立するわけで。考えすぎかもしれないけれど。
「笠井くんは悪い子だよ」
(P183/L11より引用)
笠井の正体を見抜けるのは、彼の毒牙にかかった当事者たちだけ、なのかもしれない。
3.馬鹿なクラスメイト
「誰に対しても頷くだけしか出来ない」随分と直球な言いまわしですね。緑川のことでしょう。むしろ緑川以外に考えられない。ということは、井口、中川、高尾の件の犯人も緑川ということになります。これについては次項にまとめることにします。なので、ここでは矢野と緑川の関係についてちょっとだけ考察を。
矢野と緑川は「元友達」とのことですが、矢野の口ぶりからすると、緑川は表立っては言えないけれど矢野にまだ友達意識があるのだと窺い知れる。では矢野は彼女のことをどう思っているのでしょう。
矢野は緑川のことを指すとき、徹底して「馬鹿」という表現を用いています。じゃあ緑川のことがきらいなのかというと、たぶんそうではなくて、これって親しみをこめた「馬鹿」なのでは?
矢野は夜休み中の会話で、「文字ばっかり読んでたら馬鹿になりそうだー」と、ここでも「馬鹿」という言葉を持ちだしてきます(※P74参照)。文字ばっかり読んでたら双葉みたいになりそうだ。矢野はあのとき、案外そんなふうに親しみをこめて、別段他意もなく元友達の名を挙げたのかもしれない。――そう考えれば、2人の微妙な関係にもちょっとは救いがあると思いませんか?
“馬鹿な子”のしわざ
蛇足 補足として、例の警報音と野球部の窓についても言及しておきましょう。
1.警報音
一連の犯人が緑川だと仮定して、彼女が夜毎復讐を図っていたとすると、P121で大きなベルのような音が鳴ったのは緑川が中川の上靴を中庭に捨てたときだと考えられます。前項で考察したように、「相当な馬鹿だと思う」「クラスの馬鹿な子かもね」と矢野がしきりに不審者を「馬鹿」と呼んでいたことも裏付け材料となります。髪の長さから男子であると推理した安達に対して矢野が「女子かもよ」「(髪を)短くしたのかも」と執拗に女性説を推したのも、犯人は緑川だよという彼女なりのアピールだったのではないだろうか。
2.野球部の窓
割られたのは元田たちが矢野の靴箱になにかをしておもしろがっていた日(※P34参照)と、元田が矢野にむかってひどい言葉と黒板消しを投げた日(※P128参照)。元田が野球部員であったことを考えると、緑川が矢野に代わって元田に復讐したということなのでしょう。安達が「カエルの為(に復讐した)とかは?」と矢野を疑ったときも彼女は「そんな馬鹿な子みたいなことしない」と言っていましたね。
野球部の窓が割られなくなったことについて、矢野は「多分追いつかなくなったんだよ」と言っていますが、この言葉、たぶんあとには「復讐が」という意味がつづくはず。ペットボトルで頭を殴る。おそらくは差別用語と思われる言葉で罵る。黒板消しを投げつける。元田が矢野にしたことは多すぎたから。
ところが、パリー・ポッターの世界ではモノが生きていると知ると矢野は「だからあの馬鹿やめたんだ」とあっさり納得します。P182の段階で緑川はハリー・ポッターを読んでいました。窓を割ることは窓を“傷つける”ことになると気づいて彼女は犯行をやめたのかもしれません。読書家というのは総じて感受性が豊かなのです。
情報屋は敵か味方か
閑話休題、笠井の話に戻ります。
他に気になることといえば、夜の学校で安達と元田たちが邂逅した際に教室の鍵はなぜ開いていたのかというのが気になりますが、あれもひょっとして笠井の仕業なんだろうか。元田はあのとき「まるで開いているものと思っていたよう」に教室へ逃げこんだんですよね?
元田の計画をはじめ、安達が得た情報はすべて笠井が教えてくれたもの。そして、笠井が“情報屋”の役割を担っていたのは安達にだけとはかぎらない。たとえば、昼のあいだに笠井がさりげなく「怪獣は決まった時間に学校にあらわれるらしいぞ」とか「ウチの教室って夜も鍵が開いているらしいぜ、無用心だよなぁ」などそれとなく元田たちの耳に入れる。どこかのタイミングで教室の鍵を開けておく。すると、あの状況も不自然ではなくなります。
「これであいつが問題起こして試合出れなくなったら……まあ、残念ながら笑えるよなっ」
(P130/L6~7より抜粋)
「ま、どうせ怪獣なんて出てこねえから、なんもなく帰るか、捕まって問題になるかのどっちかだろ。ぜってー、捕まった方がおもしれえけどな、あははっ」
(P150/L2~3より引用)
元田に捕獲または討伐される怪獣(安達)。捕獲に失敗し警備員に見つかって試合に出られなくなる元田。どちらに転んでも笠井にとっては「おもしれぇ」展開。元田の騒動からは、自らが整えた舞台で矢野のいう“遊び”に興じている、そんな笠井の姿を想像することができてしまうのです。
追記:知人に話したとき「さすがにそれは」と言われてしまったのでこのときはカットしましたが、当時はあの場に教室の鍵を開け安達と元田たちの邂逅を陰で見ていた笠井もいたのではと考察していました。今ふりかえってみると笠井はそうしたリスクは背負わず安全圏から悠然と事をながめていそうなタイプなので、うーん、鍵は元田たちが事前に開けていたのかな。 |
さいごに
以上が笠井の人物像を中心とした『よるのばけもの』諸々に関する考察です。推論の域を出ないものの、仮にこれだけのことを飄々とやってのけたというのなら安達よりなにより、笠井、おまえこそ真の三國無双よ…!矢野や緑川はともかく、他の生徒たちにはその本性が一切バレていないところがこわすぎる。矢野が「うまい」「頭がいい」褒めていた(?)のは、笠井のこういう巧妙さ、狡猾さのことだったんでしょうね。
さて、物語の最後に「安達が矢野に挨拶をする」という新たなエサを与えられた笠井ですが、今後どう動くつもりやら。もともと安達を見下していたようだし、彼に手のひらを返すことは簡単にしてくれそうだけど、あえて〈それでも友達でいる俺〉を演じることでさらなる名声を得ようとする可能性も充分に考えられる。
安達が化け物になることは最後の一文を読むかぎりおそらくもうないだろうけど、夜休みや矢野はこれからも変わることはなさそうなので、笠井の存在に疲れたら、安達、今度は人間の姿で夜休みにゆっくり休め!意地になったり無理したりしなくていいんだ。
学校なんて小さな世界に縛られることなく、安達や矢野には、これからのびのび自分らしく生きてほしいです。
おまけ
表沙汰にならなかった蛍光灯の件は、私としては安達が言っていたとおり「騒ぎにならないようにするため学校側が配慮した」でファイナルアンサー。野球部の窓も何回か割られているのに騒がれなかったけどこれも以下同文。能登先生が安達と矢野の事情や夜休みのことを知っていそうな雰囲気だったし、学校側の配慮だったとしたらこのときに率先して動いたのは能登先生かな?
2018年9月14日に加筆修正しました。