【タイトル】

「自分の目で見たものしか信じない」は愚か者の戯言だ -『アウターQ 弱小Webマガジンの事件簿』感想

 

【リード】

ドラえもん×クレヨンしんちゃんfeat.スーパーサイヤ人でおなじみ(大嘘)の『ファミリーランド』からちょうど1年あまり。久しぶりに澤村伊智です。あらすじ読んだ感じ今回はサクッと読むやつかなーと思ったらやっぱりネタバレ前提の感想しか書けなかった。はいはい平常運転。

 

【本文】

というわけで、「食わずぎライター」こと湾沢陸男、ではなく、「佐々木麦」こと佐々木麦です。食わず嫌いしてたのは過去の話なので湾沢くんとの共通点はライターであることしか残っていません。ところで、巻末の〈参考〉を見るとWebマガジンは『デイリーポータルZ』とかを参考にしたらしいけど、表紙とかキャラクター見る感じほとんど『オモコロ』のARuFaくんだよね???

それはさておき、『アウターQ 弱小Webマガジンの事件簿』おもしろかったです。キャラクター重視のライトな内容かと思いきやガッツリ考えさせられるテーマがあって。あえて明言はされてないけど節々に都市伝説や当時の時事ネタをさりげなく盛りこんでるところも憎い。

ただ、最後の演出を考えると仕方ないけど練馬さんて毎話必ず出てくるキャラクターでもないので探偵役ほとんど練馬さんが持ってったって点に関してはまぁ自分的に本作が薄味になってる要因かなと。

まぁ、事実こうして記事が書けたわけだし、軽めな小説ですけどよかったです。湾沢くんのパーソナルな部分は好き。文体嫌いだけど!(笑)
各短編については、感想というかもうただのアウトプットだけどいろいろ出したので暇な人は以下読んでやってください。
…………

 


笑う露死獣

地元の公園に書かれていた「露死獣」という落書きの謎、大人になった今解き明かしに行こう!という話。もっと端的に言うと「20歳を過ぎても覚えていたばっかりに」ってやるせない話です。そういえば自分も、「むらさきかがみ」という言葉を20歳まで覚えていると云々というウワサを本気で怖がって大学生になってもビクビクしていたクチです。

 

人間の恐怖のメカニズムって根本にはうしろめたさがあるのかなぁなんて。たとえば幽霊が怖いとする。幽霊が怖いのは、いつか自分の前にもこんなおそろしいものがあらわれるからではないか?そう考えてしまうのは、自分自身が人あるいは霊的な存在に恨まれたり咎められるような過去を持っている、と自覚しているからに他なりません。過去を変えることはできない。だからこそ、変えることのできない過去にできるだけうしろめたさを残さないよう誠実に生きよ。――人ならざるものの存在は、そんな抑止力にもなるのかもしれません。

 

落書きといえば、私も昔は学校の机に「生殺与奪」とか「卒業まであと◯◯日」とか書いちゃうガッツリめな中二病でした。作中で起こったことを肯定はしませんが、落書きという行為に持て余した感情を発散させる効果が多少なりともあることは否定できませんね。

 


歌うハンバーガー

拒食症のフードライター・守屋雫が、”指定席”だらけの不思議なハンバーガー店〈シンギン・バーガー〉を取材する話。自分は絶対行きたくないけど店内はちょっと気になる、みたいなお店ってあるよね。「工事中」って名前のバーとか。どこを?アレを?

 

ハンバーガーといえば、自分の時代にはミミズバーガーなんて都市伝説もありました。結局ああいう都市伝説の生まれる背景って「わからないことへの恐怖」があると思うんです。どうしてハンバーガーってこんな美味いのに安いの?どうして毎日大量に生産できるの?どうして牛肉って育成年数のわりに枯渇しないの?……一つひとつはきちんと調べて勉強すればきっとカラクリがちゃんとあるんですけど、私たちはその手間を惜しむ。だから、無茶な想像をして勝手にこわがってしまう。作中のマスター北尾、あるいはシンギン・バーガーという店そのものがまさしくそんなメカニズムでしたよね。

 

「得体が知れない」という言葉はあくまで主観的なもの。私の知らない物事にもそれを知っている人・知ろうとしている人がいる。知るという手間を惜しんだとしても、せめてそんなふうに客観視できると世界はもっと易しい、または優しいものになるのかもしれない。

 


飛ぶストーカーと叫ぶアイドル

過去傷害事件に遭った地下アイドル、その2年ぶりのライブで起きたクラウドサーフィングで忍びよるストーカーとその捕縛劇。の裏側の話。アイドルってマジで宗教なんだなって思った。偶像とはなるほどよくいったもんだ。

 

キャラクターというフィルターを通さず、まるで自分自身のなにもかもをコンテンツにするようなやりかたが年々増えているなと。私は個人とコンテンツとはわけて考えるべきだって思ってるけど、たとえば今回のように「人を殺したあと、自首する前に行われたライブ」という場合じゃあ彼女たち個人とコンテンツとの境目はどこにあるのか。ファンからすればこっからここまではアイドルとしての演技ですって明確に宣言でもないかぎりプライベートを含めた彼女たちの一挙手一投足がアイドルというコンテンツとしての彼女たち、という認識なわけで。

 

罪っていうのは、なんなんだろうな。客観的に、冷静に物事を見なくちゃいけないことはわかっていても、どうして事件の背景にこれだけ惑わされてしまう。人が人を裁くってそもそも難しいんじゃない?そのうちこういうのは全部AIに任せよって未来も来そうだよね、うすらさむいけど。

 


目覚める死者たち

かつて湾沢くんも巻きこまれたとある花火大会後の事故、その現場付近で起こったという、奇妙な怪談話をめぐる話。陸橋だか歩道橋だか忘れちゃったんだけど、階段と怪談をこのへんは上手く掛けてるのかもね。

 

怪談とはまた違うんだけど、このあいだふと、戦国武将とか文豪とかの末裔って今どんな気持ちなんだろうなって考えちゃって。かつて実在した人物を「擬人化」って、なんか、無法地帯でしょあの界隈。仮に自分が有名な誰かの末裔だったとしてさ、子供の頃は、祖先に対する憧れとか誇りとかあるんだと思う。それがだんだん大人になって、尊敬の念なんてどこにも感じられない娯楽の材料に成り果ててるんだって知って……そこで割りきれるほど大人だったらいいけど、いやー、私だったら普通に不快かもな。

 

普段忘れがちな事実だけど、怪談っていうのも、ベースはそういう誰かの人生の延長線でもあるんだよね。簡単に娯楽や承認欲求、お金の道具にしちゃだめだ。自分も小説書くときにはいろんな苗字や名前を使うわけだけど、万が一同性同名の人がいたとき彼らに不快な思いをさせないようにっていうのは今後意識していかないといけないかな。

 


見つめるユリエさん

実家に飾られた〈ユリエさん〉の絵に恋をした青年、彼はやがて幾たびも彼女を夢に見、会いたいと思うようになった。あまりにトントン拍子に事が進むので「世の中こんなに都合よくいかないだろ」と思っていると、最後あのオチ。事実を自在に操れる立場にいるからこそ、あそこまでやってさすがプロだなって思う。

 

さて、殺してしまう夢というのははたして本当に寝覚めが悪い。自分も、さすがに人をってのは見ないけど、ハムスターを飼育放棄で大量に殺す夢めちゃくちゃ見るんですよ。定期的にあんな夢見て、真相心理の自分はこんなに残酷なのだろうか。起きた直後はいつも憂鬱な気持ちになる。だから浅野くんの気持ちはちょっとわかるつもりです。夢でくりかえし見るから現実になったとき「そうしたほうがいいのではないか」と思うって気持ちまではわからん。「そうしてしまうかもしれない」って不安になるならともかく。このあたりは能動的に殺す夢と受動的に殺す夢の違いなのかな。

 

浅野くんが夢の内容を最後まで話せなかったのはやっぱり、軽蔑されるかもしれないとか、そういう不安があったからなんだと思うけど。それでも、やっぱ誰かには相談するべきだったんじゃないのかな。私の場合は、一度笑い話にしてもらってからはしばらく見てないし。だからこそ余計、そうできなかった浅野くんに心苦しさを感じてしまう。

 

★悪夢を笑い話にしてもらったときの様子


映える天国屋敷
涙する地獄屋敷

たまにテレビで取りあげられたりする、ちょっと変わった家主とその家・作品の話ですね。探偵役も練馬さんにとられて、しかしなぜ湾沢陸男は本作の主人公なのか?そのあたりはここでようやく解明されます。人間辞めたくなる話。

 

私たちは一人ひとりが個体を持ち、意思を持ち。そして、あまりに多すぎる。だから仕方のないことだと思う。考えても途方もないことなのだと思う。それでも考えずにはいられなかった。どうして私たちはこんなにも自分という存在を、過信してしまうんだろうって。鏡に映った自分の顔は脳が目が都合よく補正したものだし、「シロクマのことだけ考えてください」と言われればむしろシロクマのことを忘れてしまう。風邪を引いている人がにおいでわかると豪語する。かき氷のシロップは全部違う味だと認識している。私は私だと常に確信している。人の中身なんて、3ヶ月で完全に入れ替わるのにね。

 

これ最高にやりきれなくて秀逸なのは、湾沢くんを糾弾する井出さんは井出さんで「見つめるユリエさん」のときに間違いなく浅野さんを傷つけているし、そんなことを言ったら「飛ぶストーカーと叫ぶアイドル」で練馬がしゃしゃったことで傷ついたファンがいて、過去まで遡れば八坂さんだって、広く見ればウズマキさんの野次馬精神だって常にどこかの誰かを傷つけてるところ。みんながみんなちょっとずつ悪いの。特定の誰かを責めれば溜飲が下るって話じゃない。そこがリアルで容赦なくて好きです。

 

これはメンタリストDaiGoの受け売りで意訳なんだけど、結局最後に生き残るのは誠実性を持った人間だけみたいです。人が人を傷つけるのはね、もしかしたら、どうしようもないことなのかもしれないの。偉ぶってるけどヒトだってしょせん動物なんだし。あと私たちが自分でできることってせめて誠実でいること、それくらいしかないんだと思う。そういう文章を、私は、ちゃんと書けているだろうか。

 


 

以上です。

 

湾沢くんほとんどオモコロのARuFaくんだよなぁ~とか思いながら読んでいたので、久しぶりにオモコロ読みたくなりました。私がどういうわけか住野よるの『よるのばけもの』の文字数結構めにえぐい考察記事送りつけたことでおなじみのオモコロ杯、2021年もやるらしいですよ。壮健そうでなにより!

 

検証とかレポートは自分の一番苦手な文章のタイプなので、ARuFaくんをはじめオモコロライター諸兄、書ける人全員を心の底から尊敬します。終わります。

 

オモコロ杯 2021

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。