antique clock photo

 

 

 

私は前屈が苦手で、
高校生のとき体力測定で測った長座体前屈では
たった3cmぽっちという記録を生んだのですが、
身体の硬さゆえに小学生のときすごい発見をしました。

 

聞いてくださいみなさん。
前屈をするときは、膝の裏の膨らみを揉むのです

 

膝の裏に、
膨らんだところがあるでしょう?
あそこをつまむようにフニフニを揉むのです。
このまま前屈をすると微妙に記録が伸びるのです。

 

ただし、
膝の裏を揉んでくれる協力者が不可欠なのと、
人によってはめちゃくちゃくすぐったいです。

 

欠陥だらけのこの発見、
大正の平賀源内だったらどんな発明にしてくれたでしょう。
伽古屋圭市さんの『からくり探偵・百栗柿三郎』読了です。

 

 

 

大正の平賀源内改め東京のホウムス、ここに誕生!


 

 

大正時代の浅草。

 

町のはずれにあるボロ家・百栗庵の主で
発明家の柿三郎が、探偵稼業に踏み出した。

 

冴えない風貌で発明品は珍妙だが、
“顕紋粉”を使った指紋採取などの科学的な調査や、
状況証拠から理論的に導き出す思考実験によって、明晰な推理を次々に披露!

 

機械式招き猫の助手・お玉さんを連れ、女中の千代とともに

 

“ホモンクルスに殺された博士”
“連続して発見されたバラバラ死体”
“幻術師の元から消えた弟子”

 

などの謎に挑むが……。

 

※あらすじは実業之日本社HPより引用しました。
http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-55206-4

 

※YouTubeに作者の伽古屋圭市さん御本人によるコメントもあるようです。

 

***

 

先日続編を購入したのでブランクを埋めるために再読。
初読は2年前?だったので既読と未読半々の気持ちで楽しめました。

 

過去の感想記事はこちら
新旧読み比べしていただいてもおもしろい、かも?

 

腹からアイテムを出してくれる
どこかで聞いたことのあるようなネコ型からくり人形や、
レッドブルを彷彿とさせる〈翼生薬〉なる栄養ドリンク、
某少年探偵が将来使っていそうな(懐中)時計型麻酔銃など
思わずニヤついてしまうギリギリな発明ネタをはさみつつ、
事件は時代背景や往年の名作も踏まえた意外と硬派な作り。

 

読後感も各話テイストが違うので、
どの程度のミステリー好きでも幅広く楽しめる作品だと思います。

 

以下、各話の感想をまとめました。

 

 

 

キテレツ発明家は難事件のからくりを暴けるか!?


 

 

※序章と幕間は割愛、終章については第四話感想で触れます。

 

第一話 人造人間(ホムンクルス)の殺意:

 

変わり者の博士が
屋敷の地下室で首を締められて殺害された。

 

殺害現場からは
高価な緑柱石がなくなっており、
博士が所有していた〈ホムンクルス〉が
彼を殺害したような形跡が残されていて――。

 

博士を殺したのは本当にホムンクルス?
彼の助手3人のうちの誰か?それとも……?

 

***

 

事件の背景や動機の描写が薄く、
「かもしれない」ばかりのまま幕を引いてしまうので
真相がわかってもあまりスッキリしない読後感です。

 

ので、憶測で補足してみると。

 

「ホムンクルスに意味はなかった」
というふうに作中では語られていますが、
犯人が「出来損ない」のホムンクルスに執着していたのは
供述で語られた諸々の背景をそこにダブらせていたからではないかと思います。

 

真実がどうであったとしても、
翻弄された彼は気の毒でもありますね。

 

日本人のノーベル賞受賞の話題も昨今はよく耳にしますが、
華やかな表舞台に立っていない影の功労者というのは実際
どれだけいるんでしょうね…後腐れなくやれているのでしょうか。

 

 

 

第二話 あるべき死体:

 

真壁博士の事件以来、
百栗庵で女中として働いていた千代はある日
隅田川の河川敷でバラバラ死体を発見してしまう。

 

無残な姿で亡くなった秋濃冨実男の執事から
依頼を受けた柿三郎は千代とともに彼の死の真相に迫る。

 

ところが後日、
南葛飾郡の雑木林でまたしてもバラバラ死体が見つかった。
模倣犯による犯行か、それとも、彼らにはなにか共通点があるのか。

 

***

 

戴いたおむすびはよく塩が利いていて、
しかも握り加減も絶妙で、すこぶるおいしかった。
具は鱈子を焼いたもののようだった。
初めて見るけれどこれまた非常に美味なるもので、今度作ってみようと思わせる。

(P109/L13~15より引用)

 

凝った描写というわけでもないのに
なんだか無性におむすびが食べたくなります。
これぞまさに“飯”テロ。飯だけに「うまい」ってか。
読んでいてどうしても食べたくなって明太子のおむすびを作ってしまいました。

 

初読のときにも思ったことですが、
やはりP146/L3~の柿三郎の言葉はガツンときます。
ネタバレになりそうなのでここでは引用は避けますが。

 

有名な思考実験に「哲学的ゾンビ」というものがありますが、
自分(世間)が見ている100%そのままの他人というのは
証明のしようがないので、なんというか、ありえないわけで。
表面的な情報ってさほど重要じゃないんだなとつくづく思います(乏しい語彙力)。

 

なのに社会はときに私たちに「つかなくてはいけない嘘」を強いるし、
一方で子供の頃から「嘘はいけない」と道徳を教えられる。…やりきれません。

 

真実を、明かしたり、突きつけたり。
もちろん多くの場面でそれは望まれることですが、
ときには正当化される〈優しい嘘〉があるように
闇に葬られたままでいい真実、というものも、あっていいですよね。

 

 

 

第三話 揺れる陽炎:

 

「息子を見つけ出し、連れ戻してほしいのです」

 

百栗庵に新たな依頼が舞いこんできた。
依頼人・須藤正子によると彼女の息子は半年ほど前、
一斎居士という胡散臭い男の下に身を寄せたのち行方知れずになってしまったという。

 

柿三郎と千代が
調査ため一斎居士の道場を訪れると、
嘘か真か“幻術”を操る居士の姿や、おまけに人魂まで?
息子の行方、そして、一斎居士と道場の正体を柿三郎は暴けるか。

 

***

 

ネタバレは避けたかったのですが
どうしても触れておきたかったのでネタバレで書きました。
以下【***】内の白字表記は任意で反転してお読みください。

 

***

 

元凶である一斎居士の自白もなければ
素振りからして後悔している様子もないのが一番の胸糞。
たしかに直接的な原因を作ったのは黒子役の彼ですけど、
一度は人の命を奪ったトリックを再度やるなんて正気ですか?

 

当の寅丸君は、
詐欺まがいの見世物に手を貸して捨て駒のように使われて、
死すらそれこそ“幻術”のように「なかったこと」にされて、
あの世でその最期を栄光か後悔か、はたして、どちらに感じているんでしょう。

 

組織の実態が公になったところで
依頼人の正子さんにとってなんの救いにもならないですし。

 

それにしても、
幻術だと思って入門したのに実際はただの手品だったとわかっても
留まるどころか「種など存在しない!」と言えるのはなぜなのでしょう。
上手い具合に騙(洗脳)されているかあるいは自分に言い聞かせでもしてるのかな。

 

寅丸君の真相を知っている関係者はごく一部なのでしょうけど、
彼らは彼らでちょっと異常ですよね。ゾッとしますねこの組織。

 

***

 

 

 

第四話 惨劇に消えた少女:

 

質屋音塚事件。
千代が百栗庵に来る一ヶ月ほど前、
とある質屋で凄惨な事件があったという。

 

質屋を営む音塚夫妻が蔵の中で何者かに殺害され、
遺体を目撃した一人娘の玉緒は忽然と姿を消した。
犯人は未だ捕まっていない、彼女は犯人に捕まって殺されてしまったのか?

 

夫妻の遠縁の使いとしてやってきた梅松に
玉緒を捜してほしいと依頼された柿三郎は快く承諾。
いつもは探偵仕事にまったく乗り気ではないというのに――。

 

***

 

謎の依頼人への疑惑が二転三転し、
柿三郎への妙な違和感にもドキドキしつつ。
なんといっても柿三郎の推理から“種明かし”までの流れは
三段構えの大仕掛けでオチを知っていてもワクワクしてしまいます!

 

二手に分かれての捜査があるので
物理的な距離感もあるのだけれど、
柿三郎の不審な言動から千代との心の距離感も感じられて
終始張りつめた雰囲気が漂う展開。トビイ(犬)だけが癒し。

 

だけど幕間も含めて、
本作最大のトリックはやはり柿三郎の――おおっと。
個人的には熱く語りたいところですがネタバレになるのでこれは内緒。

 

今さらですが、
柿三郎は素敵な男性だなぁと心底思います。

 

モノグサなぶっきらぼうに見えて
なんだかんだ物腰は柔らかくて頭はキレるし配慮もできる。
助手としては至らぬ点もある千代のことも適宜立ててくれる。
ときおり見せる彼の優しさや笑顔には惚れざるを得ませんでした。

 

実写化するなら向井理さんでしょうか。
作中には「二十代半ば」とありますが向井さんで観たい。
年齢を合わせるなら岡田将生さんでもアリな気がする。
千代役は有村架純さんでどうですか。これは高視聴率の予感…!

 

 

 

人の世にもまた、からくりあり。


 

 

初読のときは気づかなかったのですが
改めて作品全体を眺めてみると天晴解決!と
痛快な気持ちになるものではなくどの事件も
結末はどこかやりきれなさや後味の悪さが残りますね。

 

再読になって気づくということは、
柿三郎と千代のかけあいや小ネタ満載の発明品といったユーモアが
随所に混ざることによって上手くバランスをとっていたのでしょう。

 

この塩梅の良さは幕間でも語られている、
大正12年に実際にあった震災、――関東大震災に見舞われた
帝都と人々の様子をあらわす意図があったのかもしれません。

 

「これまでと変わらず、突き進んでゆくさ。
確かに今回の大地震で多くの尊い命が奪われた。
多くの建造物が倒壊し、焼失した。
しかし、この都は死なないさ。活力も失われはしない。
すぐに復興するだろうし、さらなる近代都市へと生まれ変わるだろう。
ただ……」

(P333/L3~6より引用)

 

失われたもの(者)は帰ってこない。
柿三郎は、そう、続けたかったのではないでしょうか。

 

だけど遺された者には“これから”がある。
生きていれば「落ち込んでいても腹は減る」のです。
悲しい、寂しい、やりきれないだけが人生ではないのです。

 

大正の世にも、
個人を殺める者もいれば無差別に命を奪った大災害もありました。
100年近く経とうという現代の世も、それはほとんど変わりません。

 

絶望があって、でも、必ず希望もある。

 

何度時代が変わろうと、
人の世の“からくり”は未来永劫変わることはないでしょう。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。