ネタバレ注意!

本記事は矢樹純『マザー・マーダー』の重要な部分について触れていますので、作品を既読である、またはネタバレを承諾する場合のみ閲覧することを推奨します。

矢樹純『マザー・マーダー』を読みました。あらすじに「歪んだ母性が、やがて世間を震撼させるおぞましい事件を引き起こす」とあったので5話編成の長編小説かなと思ったのですが、どちらかというと連作短編集でしたね。隣人、同僚、“自立支援施設”の職員、息子の同級生の母親、ライターの視点から、梶原美里とその息子・恭介の歪みを垣間見ていくことになります。

 


 

時系列的には、第4話→第3話→第2話→第1話→第5話という構成でしょうか。俯瞰して見ると、神話とか心理学における「母殺し」を現代日本に置き換えた話だったように感じます。だからこそのタイトル『マザー・マーダー』なのだろうし。

 

「確かに、娘と息子じゃ全然違うよね。娘の方が、薄情だっていうし」

 

(P59/L18より引用)

 

梶原親子を抜きにしても、1話から5話はすべて親子――母と娘の話になっています。瑞希と陽菜、相馬と遥、戌亥は例外ですが(第3話はここから核心を突くぞといういわば幕間のような役割を果たす物語なので戌亥という俯瞰の視点から改めて梶原親子に焦点が当たります)、早苗と千春。

 

そして、第5話にて美里と恭介が親子ではなく姉弟だったと判明することで、親殺しにおける息子と娘の相違点を掲示しているわけです。

 

「美里は、母親には逆らえませんでしたから。(中略)私と結婚したあとも、美里はずっと母親の言いなりだった。そのせいであの家はおかしくなっていった。美里はね、空っぽの人間なんです。あの母親に、空っぽにされたんです。だから――」

 

(P220/L3~7より引用)

 

ここを読んだときにね、サロメっぽいなぁと思ったんです。

 

ギュスターヴ・モローの《出現》やオスカー・ワイルドが書いた戯曲『サロメ』の影響ですっかり悪女の代名詞になってしまいましたが、聖書によると、もともとサロメって踊りが良かったから欲しいものなんでもあげるよって言ってくれた王に母親の要望を伝えただけ、なんですよね。

 

母親が望んでいるものを自分の望みであるかのように容易に口にしてしまったサロメの“空っぽ”をモローは「悪女」と見なした……のかはわかりませんが。母親によって悪女に仕立てあげられた美里は、言いなりでは終わりませんでした。弟の恭介を使って彼女への復讐を遂げたのです。エレクトラの母殺しです。

 

エレクトラによる母殺しの物語:

ミュケナイの王女として生まれたエレクトラは弟のオレステスとともに大切に育てられていたが、あるとき父であるアガメムノンが妻のクリュタイムネストラとその情夫アイギストスに殺され、彼らへの復讐を誓う。その後、オレステスが成人すると彼女の手引きによって王宮内に侵入したオレステスの力を借りて2人を殺害することに成功。自分の母を殺す罪を犯してしまう。

つまり、こうしたオイディプスとエレクトラの親殺しの物語の両者は、相手が自分の親であることが分かったうえであえて殺害におよんでいるのか?という親殺しの罪に対する自覚と計画性の有無、その殺害に際して自ら手を下しているのか?それとも他者の力を借りているのか?という殺害の手段における直接性と間接性の違い、そして、そうした殺害の罪を犯したのちに、主人公自身も相応の罰を受けることによって不幸となっていくのか?という親殺しの罪に対する明確な罰の有無という三つの点において、その悲劇の物語のあり方に、大きな意味の違いを見いだすことができると考えられることになるのです。

 

引用元:https://information-station.xyz/11060.html

 

弟の恭介を使って、と書きましたが、恭介本人は視力を失ったことをきっかけに自らの意思で睦子を殺したと供述しています。この場合、殺されたのが父親でないにしろ想起されるのはオイディプスの父殺しの話で、相手が実の母親だと知っている、遺伝性の疾患で失明する、部屋に引きこもるという点もオイディプスとはまったく真逆になるのが興味深いですよね。

 

血の繋がりはそうだとしても、僕の母親はお母さん――梶原美里ただ一人だということは、揺るがなかったから。

 

(P247/L15~16より引用)

 

恭介にとっては姉の美里こそが母親であり、だからこそ息子として、オイディプスではなくエレクトラの「弟」として母殺しを果たしたのだと、私は解釈しました。

 

ちなみに、“母親代理”である姉と弟の構図・力関係という点では日本神話におけるスサノオとアマテラスのエピソードも参考になります。ヤマタノオロチを退治することで母殺しを達成したと見せかけて、結局奪った草薙剣はアマテラスに献上してしまうのですから、日本人は古来より母殺し=母親離れが難しいのかもしれない

 


 

ここまでふまえて考えると、これからも、恭介が美里から自立するのは極めて難しいと思われます。そこで最後の希望、もとい絶望となるのが、第5話の主人公・梨沙のお腹にいる子供なんですよね。

 

「許してください。お腹に、赤ちゃんがいるんです」

もつれる舌を動かし、必死にそれだけ言った。

「まあ、そうなの。それはとってもいいことね」

美里の顔がぱっと明るくなり、小さな黒い瞳がきらきらと輝くのを見たのを最後に、私の意識は途絶えた。

 

(P251/L6~10より引用)

 

最後に美里の顔が「ぱっと明るく」なったのって、たぶん「恭介のお世話をしてくれる子供」(P135)が見つかったからだと思うんです。

 

恭介の「黙っていてもらいたくて」自体は生かすとも殺すともとれる発言ですが、美里のほうは「結婚」という言葉に過剰な反応を示していましたし、なんたって前職が看護師で母親に命じられて自宅で出産した経験もありますから、監禁して子供を産ませたあと梨沙は殺害する、が一番ありそう。

 

で、梨沙の子供を養子にして将来恭介の面倒を見させる場合、この物語が神話や心理学における父・母殺しをテーマにしているとしたら、重要なのはその性別だと思うんです。

 

女であれば美里が殺され今度こそ読者が想定していたとおりの「母殺し」が果たされるかもしれないし、男であれば殺されるのは恭介のほうかもしれない。あるいは睦子のときと同じく、美里か恭介が意図的もしくは無意識にたがいの殺害に加担する形になるかもしれない。

 

いずれにしても、美里や恭介のような大人が変わること・大人を変えることは、悲しいかなとても難しいことです。

 

家庭でも社会でも、革命に必要なのは若さゆえのエネルギーだったりするので、偶然もたらされたこの子供は梶原家の希望であり絶望、なのかもしれない。子供からしたらむちゃくちゃ酷な話だけれど。

 

 

参考にしたサイト一覧

 

怖い絵シリーズ【モロー】恐怖!なんで生首浮いてるの…?【出現】
https://www.youtube.com/watch?v=VQfoIZHUfkA

 

悪女サロメの「出現」【コラム】│アルトネ
https://artne.jp/column/840

 

オイディプスとエレクトラの親殺しの物語における悲劇の三つの意味の違いとは?│TANTANの雑学と哲学の小部屋
https://information-station.xyz/11060.html

 

「母殺し」が象徴するもの
http://www.j-phyco.com/category1/entry70.html

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
読んだ小説の感想や考察を書いています。好きが高じて元小説家志望なので、一篇の物語のように心躍る記事が書ければ。ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれます。小説の他に哲学、美術、神話などの学術本も好きです。