毎年、年末年始が近づくと異空間に飛ばされたような妙な気持ちになる。

 

ああ、そういえば春先にもこんな気持ちになるな、と思ったところでようやく合点がいった。「おわり」と「はじまり」の気配だ。春先に感じたのは強烈な「はじまり」の気配、そして年末年始に感じるのは強烈な「おわり」と「はじまり」の気配なのだ。年忘れだの新年だのと人々は一様に「おわり」と「はじまり」の気配に浮き足立つ。この空気にイマイチ乗りきれない疎外感が“妙な気持ち”の正体なのかもしれない。

 

ブログ運営の参考にときたま他所の読書ブログをのぞくけれど、年末はやはり、どこも1年間の総括とかベスト10冊とか節目をきちんとつくっている。これに倣って今年は当ブログでも「総括」なるものをやってみたけれど、結局、まとまった文章が書けなくてふざけてしまった。新年の抱負もない。抱負もなにもブログに関しては(これでも)毎回1記事書くごとにがんばって書いているから。

 

年末年始といえば、2017年は“読書納め”ができず、年末から読んでいた小説を2018年にまたいで読了した。昨日ベローチェでようやく。本を閉じて、ココアを一口すすってから、さっそく記録をつける。私が記録に使っているスマートフォンのアプリには年の境目がなく、去年最後に読んだ小説からたった今読み終わった小説へ、記録はするするとつづいていく。物語も、記録も、年の境目など関係なくただつづいていく。境目など――「おわり」や「はじまり」など本当にあるのだろうかと、記録をたどりながら、考えてしまう。「おわり」でも「はじまり」でもない今この瞬間をつなげてばかりいる私は視野がせまいのだろうか。

 

Twitterから「今日はTwitter記念日です」と通知がきてからこんなことばかり考えている。記念日祝うほどツイートしてないわ。人様に発信できるほどの人生送れてないわ。言わせるな!泣くぞ!

 

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佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。