若木未生『永劫回帰ステルス 九十九号室にワトスンはいるのか?』を読了。大好きな『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』などを手がける紅玉いづき氏が本書の発売をtwitterで告知していたので、ならば自分の波長にも合うかもしれない、と手にとった1冊。人を選ぶ作品だけど私は結構嫌いじゃないです。
予測不可能な心理学ミステリー
大学に入学した秋太郎が足を踏み入れたのは、異常に人間を嫌う来見行が専有する謎の哲学研究室「仮面応用研究会」だった。コウに興味を持った秋太郎は入部を願い出るも、断固拒否される。直後、サークル棟で墜落死体を発見するが--一瞬にして消失。この超常現象を推理するコウの裏で暗躍する彼の兄の真意は?ラスト10ページ、存在の証明が不可能な「あるもの」が出現する。
※あらすじは講談社タイガHP(http://taiga.kodansha.co.jp/author/m-wakagi.html)より引用しました。 |
なんとも形容しがたい作品。ミステリーというにはオカルトがすぎるし、哲学・心理学においてやや専門的で読者は置いてけぼりを喰らう。だけど一連の事件の骨組みは妙におもしろくて悪くない。バカミスとはまた違うけど、そんじょそこらのミステリー脳では想像できないオチであることは間違いない。件の「ラスト10ページ」についても、もったいつけるほどではなかったけれどおもしろい解釈だった。
文体やキャラクターのクセが強く、中盤――それもかなり終盤に近い中盤――までかなりとっつきにくい作品ではあるけれど、新しいミステリーとしては読みごたえのある筋なのでそれを理由につっぱねてしまうのはちょっともったいない。講談社タイガのHPで試し読みもできますし本文も200ページ弱と読みやすい量なのでミステリーに定型を求めない人は挑戦してみてはいかがでしょうか。
必要なのは鍵、じゃない。
本作は〈異界同好会〉なるサークルが秋太郎とコウを延々と〈サークル棟かくれんぼ〉に誘い、“死者”を生みだしては消す、という奇妙な永劫回帰――ループを見せる「永劫回帰の謎」を解明する心理学ミステリー。ループというとオカルトやSFっぽい響きに感じるけど、私たちの日常生活だってある意味ループの一種。微妙な違いはあれど毎日おおよそ同じサイクルで生活という円環をぐるりとまわっている。
「簡単なゲームだ。イージーモードだ。コウが謎を解けば、コウは神隠しには遭わない。そしてカガミくん、きみがコウをみつけてくれればね」
(P141/L1~2より引用)
そして作中で北見勝が述べたこの言葉は、日常のループに対しても有用である。
錠に鍵を差しまわしてはじめて扉は開かれる。ループを絶たねばならぬ、その気持ちが鍵だとしたらそれを差しまわす“手”が必要だ。「boredom(退屈)」な日常のループに囚われた秋太郎の場合それはコウだった。あるいは自動思考のループに囚われたコウにとってそれは秋太郎だった。
檻を想像してほしい。私たちがあるループに囚われたとき、それは、檻に閉じこめられたことに似ている。鍵を持っていることが重要なのではない。檻の外側から鍵を開ける“他者”がいなければ開かないこと、それが重要なのである。
Does he exist or need?
副題は「九十九号室にワトスンはいるのか?」。この「いる」はおそらく「居る」と「要る」のダブルミーニングだろう。
さて、今ここに新たな“探偵”がひとり産声をあげた。そして探偵と“ワトスン”の関係はミステリーにおいて依存の関係にある。こんなふうに。
探偵がいるからワトスンがいる。
では、九十九号室のワトスンはどちらなのか。existかneedか。――生まれたばかりの探偵には、まだ知る由もない。