dish blue photo

遠藤彩見『キッチン・ブルー』を読みました。前回読んだ『広告狂想曲24時間』などを購入したときに一緒に書店へ行った知人に頼んで1冊選んでもらったもの。なるほど、ファッション雑誌を読んでいるタイプのOLが手にとりそうな表紙なのでこれはたしかに私だったら素通りしていた。偏見がすごい。「ごはん小説」というワードに惹かれて軽い気持ちで読みはじめたけど、思っていた以上にほっこりできて良作でした。

 

 

 

業界初?飯テロしないごはん小説

つまんない子、いつもそう言われてきた――。灯(とも)は飲み会も女子会もNG、とにかく他人と食事を共にすることができない「会食不全症候群」。この性分のせいで職を変え、恋にも無縁。けれど仕事で知り合った蝦名(えびな)から夕食に誘われて……。食べることは生きること。「食」に憂鬱を抱えた6人が、ユニークでタフな方法で、悩みに立ち向かってゆく。つい頑張ってしまう人に贈る、幸せごはん小説!

 

※出典:http://www.shinchosha.co.jp/book/121481/

上記あらすじで紹介されている「会食不全症候群」にはじまり、アンドロイドのごとくコロッケそば(コロッケそばってなに?)の上に機械的に七味をふりまくり七味の小山を築いて淡々とそばをすする謎の美女〈七味さん〉、料理教室にも通っているのに一向に料理が上手くならず水っぽいカレーや固いブリの照り焼きがならぶ食卓。突発性味覚障害。料理への異常な執着。客もキャストも誰も見向きもしないキャバクラで出される料理。――もう一度あらすじを読む。

 

「幸せごはん小説!」

 

ごはん小説でこんなに食欲減退するどんよりな導入って今まであった?正直好き。ああ、だけどご安心を!ここからいかに「幸せごはん小説!」にもっていくかがもちろん本書の見どころなので。むしろこの第一印象こそが後々効いてくるからたまらないわけです。「食えない女」や「味気ない人生」なんかは意外な顛末だったので、そうきたか、と思わずふふっと笑ってしまいました。どれも気づきがあり楽しめる作品ではありますが、うーん、個人的には先に挙げた「食えない女」、他には「さじかげん」「ままごと」とかも好きかな。

 

表紙やあらすじの雰囲気だけでは女性向けなのかなと思われがちですが、「七味さん」や「ままごと」は男性が主人公のおはなしだし、あとはなんたって〈食〉は男女関係なく人間誰しもにとって共通のテーマなので男性読者も楽しめると思います。

 

 

 

酸いも甘いも召しあがれ

食えない女

映像翻訳家の古谷ともは、人前で食事をすることができない〈会食不全症候群〉。人との食事を避けつづけた結果、「つきあいが悪い」「仕事に不熱心」「感じが悪い」と言われひとりぼっちに。ところが、今回の仕事で出会った大手製薬会社の社員・蝦名は、いつもどおり食べもののお土産を断る灯に気を悪くすることもなく代わりのお土産をくれて――。

「じゃ、古谷さんへの台湾土産はこれ、どうぞ」

 

(P19/L8より引用)

 

蛯名さんが言った瞬間「あ、蝦名さんしゅき…(トゥンク)」と思った。なるほど、これが俗にいう“恋に落ちた瞬間”というやつか。灯に対する蛯名さんの一挙手一投足が!すべて!優しさにあふれていてスマートでたまらなく好きなの!最後に蛯名さんのちょっと意外なパーソナルデータが明らかになるけど私はそういうのまったく気にしないので!つきあいませんか!?

 

とはいえ、私も対人恐怖症の影響で人前で食事をするの苦手だから灯の気持ちもすっごくわかる。悔しいよね。場所を気にせず誰かと楽しく食事がしたいって、自分だって思っているのに、謝らなければいけなくて、責めるような視線ばかりで。断ってきた食事の代わりにきっと同じ数だけの苦い気持ちを灯は飲みこんできたはずだ。

 

食べることは生きていくうえで避けられないものだし、始末が悪いことに、それが私たちにとってコミュニケーションやステータスの一部になってしまっているから、食に憂鬱を抱えるというのは心底つらい。灯のような悩みを抱える人もいるのだということ、もっと理解が広まるといいね。最近は「アルハラ」なんて言葉も聞くけど、コミュニケーション手段は酒や食事以外にもあるってこと、臨機応変にわかってほしい。

 

最後の1行がドラマチックで、だけど愛嬌もあって、とってもよかった。灯も蛯名さんも好きなキャラクターだから、2人のペースで、これからも尊重しあっておたがいに歩みよっていってほしいなと心から願っています。好きだ好きだと言うばかりでなく、私も、蛯名さんを見習わないとね。

 

 

 

七味さん

派遣社員の大前和己おおさきかずみは、派遣先であるフラワースクールの講師陣による水面下での権力争いに悩まされていた。あるとき、展示会での作品の配置場所を決めるよう指示された和巳は、講師のひとりから会場のもっとも目立つスペースを「真の女王」に与えてほしい、と、真のリーダーを決めるよう頼まれてしまう。途方に暮れた和己だったが、日頃通っている立ち食いそば屋でよく会う「七味さん」への失態からヒントを得て――。

「食べてるときって素が出るでしょ? 食べるって本能だもの。じろじろ見られちゃ恥ずかしいわよ。自分の素を見られるみたいで」

 

(P76/L7~8より引用)

 

他の短編とは微妙に毛色の違うような、うーん、小説としては正直あんまりパンチ力がない作品なんですけど、食べる姿を見られるのは素の自分を見られるようだっていうこのくだりは共感しました。だから基本的に人と食事をしたり人が多いところで食事をしたくないんだよなぁ。

 

他の記事でも再三言っているのですが、この手の話をすると必ず思いだすのが森晶麿氏の…もうどの作品だったか具体的に思いだすことできなくなってしまったけど、黒猫シリーズのどれかで言及していた、歯は唯一見える骨だから口というのは云々って話。他人に口元は見られたくない。このへんの意識も食事風景を見られることへの苦手意識に作用しているかも。

 

さて、そばに七味をふりかけまくる謎の美女〈七味さん〉ですが、彼女はどうして七味が好きなのか――その理由は最後に明らかとなります。なるほど納得。そば屋が歓楽街にあったり中盤で描写される“赤い跡”のくだりなど不穏な空気もあったので心配したけど、思っていたような真相じゃなくてよかった。

 

 

 

さじかげん

実家は金沢の小さな加工食品会社、おまけに大の料理上手である母親の味で育った舌の肥えた夫を持つ青山沙代は、自分の手料理に遠慮なく調味料を加えたり買ってきた惣菜を加える夫への不満や一向に上手くならない自分の料理の腕への焦りを料理教室の仲間たちとささやかにわかちあっていた。ところが、あるとき料理教室に自分たちよりも圧倒的に料理が上手い女性がなぜか料理を習いにやってきて――。

私もある種の料理コンプレックスがあって、面倒クサがりでガサツだから、簡単な料理しか作れないし味も安定しない。学生時代、バレンタインデーやらなにやらのイベントで甲斐甲斐しく手づくりお菓子なんぞをつくって持ってくる子を見ると、いつも程度が知れている自分の料理の腕に無性に焦ったりしたっけ。家に立派なオーブンもないし、お菓子をつくるのはめちゃくちゃ下手です。得意料理だって、明言できるのはせいぜいれんこんのきんぴらだけだし。庶民派。

 

「必死なの、料理が下手だから。私は料理が作りたいんじゃない、幸せを作りたいの!」

 

(P132/L9~10より引用)

 

だから、沙代の「幸せを作りたいの!」という言葉にはグッときました。勇気をもらった。作中でも描かれているけど、料理の味って、その場の雰囲気や感情に左右されると思う。家でひとりで飲むより外で誰かと飲むほうが圧倒的にアルコールのまわりが早いのと同じ理屈だと思う。だから料理よりも幸せをつくりたいと言った沙代のアプローチは正しいと私は思う。そんなふうに思える沙代の料理ならこれからきっとどんどん美味しくなっていくだろう。

 

読んでいて何度も「美味しい」という言葉はすごく大事だと実感しました。子供の頃から毎日なにをせずともごはんをつくってくれた母に私はどれだけ「美味しい」「ありがとう」が言えただろう。あたりまえにしたり、ないがしろにはしなかったと、本当にそう言える?

 

冗談抜きで、私が一番好きな食べものは母が作るハンバーグ。大雑把な母だから、ときどきは失敗しちゃうのもご愛嬌。今度また食べられるときは、素直に「美味しい!」って言おう。言葉にしよう。それで、いつかは私も、母から引き継いだこの味で誰かのささやかな幸せをつくれるといいな。

 

 

 

味気ない人生

階下に住む住人の騒音によるストレスで突発性の味覚障害になってしまった行政書士の寺田希穂きほ。失った味覚とオアシスだった自分の部屋をとりもどすため、弁護士の従弟の力を借りて忌々しい306号室の住人と闘うことを決めるが、度重なる騒音と味を感じない食事へのいらだちから冷静を欠き、なかなか裁判の準備が進まない。そんなとき、希穂は気晴らしに受けたアロマテラピー講座をきっかけに講師の女性・堀と知り合い――。

希穂は怒ることを選んだ。もっとおいしいものを探すよりも、目の前にある味気ないものを、口に詰め込み続けていたのだ。

 

(P185/L9~10より引用)

 

「怒ることを選んだ」の一文に、はっとなりました。

 

最近気づいたんですけど、怒るのってコスパ悪すぎません?消費するエネルギーのわりにメリットまるでないし、早々に見切りをつけて自分から怒りを手放すほうが簡単で精神衛生上絶対にいいはずなのに、つい、相手を負かしたい、相手にわからせてやりたいってがんばっちゃって、本当に味気ない。注意するのはまた別として、怒るというのは、思いきってやめたほうがいい。

 

希穂とはまた違ったパターンですが、私もときどき、口の中が不自然に甘く思えたり、お茶を異様に甘く感じることがあります。味覚がバグるのは不快でつらいです。「こういう味がするはず」という記憶と意思疎通まったくはかれなくなってるんだもん。変な感覚しかしないのわかってるのに腹は減るし。ちなみに甘味を感じるパターンは亜鉛不足などが原因だそうです。ごまとか大豆とかブロッコリーを食べよう。

 

人間食べなきゃ生きていけないわけで、味覚が私たちにとってどれほど重要なものなのかが伝わってくるおはなしです。それでいて、最後には希穂のそれまでの境遇をふまえたやわらかな笑いがあってほっこり。堀さんなら正直に打ちあけてもいいと思うけどなぁ、私は。

 

 

 

ままごと

役者のかたわらバーで働く水戸健人は、店に手料理を持ってきてやたらとふるまいたがる女性客・由奈に「チケットを買うから料理を食べて」と奇妙な提案を持ちかけられる。チケットノルマと日々の食糧のため、彼女の手の込んだ料理を食べ、ときに〈知人〉としてブログに登場する。ままごとじみた2人の関係はエスカレートし、次第に健人の演技に影響を及ぼしはじめる。食卓と舞台。客を求める2人のままごとの行方は--。

由奈さん苦手だなぁ。P227の「作ってあげるね」って言いかた、ついしてしまうときがあるけど、これって本当に傲慢だし気をつけたい。料理って人が生きていくのに必要不可欠なものなんだから「してあげる」ものじゃないよね。恩を着せるものじゃない。積極的に反面教師にしていこう。

 

いつも料理の一番おいしいところをいただくのは、健人ではなくカメラだ。

 

(P216/L2~3より引用)

 

この一文、ギクリとする人もいるんじゃないでしょうか。

 

食べものに限った話じゃないんですけど、私はどうも映像で記憶するのが得意みたいで、旅先とかでほとんどカメラって使わないんですよ。目に焼き付けるタイプというか今を楽しむタイプというか。――料理も同じだと思うんです。今が楽しく(美味しく)なければあとでふりかえったっていい気分にはならない。だから今一番楽しい(美味しい)場面を噛みしめないと。そのときが最高に楽しければ、写真やビデオに撮らなくても、きっと色褪せずに記憶に残るから。……でも、写真やビデオ、形に残したいという人は、自分ひとりで楽しむよりも誰かと思い出を共有したいっていう優しい人なんでしょうね。それはそれで見習わなければ。

 

※以下、ネタバレとなるため【 】内を白字表記とさせていただきました。

 

どうしても書きたいので書きますが、【健人の不調の理由が“油”だったのは意外でした。p234の久津間さんの「油は中毒性がある」発言、そうなんだ。初耳。もしかして我々人類が定期的にファミチキを食べたくなって直接脳内に語りかけてしまうのもマイルドドラックこと油が関係している……?普通に勉強になりました。油には気をつけようっと。

 

 

 

キャバクラの台所

キャバ嬢のスミレは、あるとき店で泥酔し、客にポップコーンをぶちまけ「雪だ!雪だ!」とはしゃいで相手を激怒させたとしてキッチンへ“島流し”させられてしまう。当時の記憶がないスミレは嫌々ながらキッチンの仕事をはじめるが、皿に盛られた紫色の粉、パントリーで見つかった『暗殺マニュアル』、不審な動きをする男性従業員……あの日の泥酔、そして店で酔っ払うキャバ嬢が増えていることと、これらは関係があるのだろうか--。

ほんのりミステリー仕立てでおもしろかったです。あたりまえのことなのですが、どんなに華やかな世界にももちろん〈食〉は必ず存在するんだよなぁ。キャバ嬢という人種を私はせいぜいゲームの世界でしか知らないけれど、クライマックスで「私はフードになりたい」といったスミレはすごく親しみやすくて、あたたかくて、素敵だ。

 

夢は心が手放せない。食は体が欠かせない。

 

(P290/L11より引用)

 

たとえば、まかない料理や節約レシピなんかに野菜の切れ端を使ったスープとかあるけど、じつは私たちが普段捨てている部分にこそ栄養が詰まっていて、そういう料理は体に優しく、美味しい。私たちの心もおんなじで、叶えられない夢、あきらめた夢、そういう捨ててしまう部分がじつは一番の栄養になる――そういうときもあると思う。

 

だから、叶えられなかった夢も、苦い想いも、いつか栄養になるように、今はそっと心の冷蔵庫にしまっておこう。心が弱ったときにはこの冷蔵庫を開けて、優しくてあったかい、美味しいスープをつくろう。栄養を摂って、あとはしっかり休めば、きっと彼女のように、私たちは何度でも立ちあがれる。

 

 

 

なるほどこれは“ごはん”小説

というわけで、知人に見つけてきてもらったまったく初読の作家でしたが、なかなか楽しく読めました。「ごはん小説」とはよくいったもので、料理にフォーカスした飯テロ――いわゆる「グルメ小説」ではなく、食べることそのものを描いた、まさに「食事」という意味での「ごはん小説」と呼ぶにふさわしい1冊です。

 

これからの季節、暑さや夏バテで食欲をなくす機会も多くなってきますので、みなさんも本書で食事の大切さを改めて実感するのはいかがでしょうか。

 

 

 

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。