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石川宗生『半分世界』を読みました。あらすじを読んだとき「一瞬にして19329人となった」という部分があまりに謎すぎて真顔で「好き……」とつぶやいてしまったので素直に購入。絶対にありえない状況でいやに冷静すこぶる真面目という小説全体の雰囲気がユーモラスで、そして、読んでいるとき私の頭の中ではアリ(人間)がせっせと巣をつくっていました。は?説明します。

 

 

 

見ろ!人がアリのようだ!

3年前、会社から帰宅途中の吉田大輔氏(30代、妻と男児ひとり)は、電車を降りて自宅に向かうあいだで一瞬にして19329人となった――第7回創元SF短編賞を受賞した「吉田同名」をはじめ、ある日突然、縦に半分になった家で、平然と暮らし続ける一家とその観察に没頭する人々を描く表題作、全住民が白と黒のチームに分かれ、300年もの間ゲームを続ける奇妙な町を舞台にした「白黒ダービー小史」など全四編。突飛なアイデアと語りの魔術が描き出す、まったく新しい小説世界。

 

出典:http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488018252

BAIBAI, Inc.が手がける、「アリの巣コロニー」というアプリゲームがある。

 

 

読んで字のごとく、アリの群れが地中に巣(コロニー)をつくる様子を観察する、または、ときどき育成するだけのまったくシンプルなゲームだけど、思いのほかアリがリアルだったので私はわりとすぐにやめた。

 

「人間のやることなんていつだって、どこだって、そうたいして変わらない。とにかく手を動かしたがる」

 

(P203/L11~12より引用)

 

これは本書に収録されている短編「バス停夜想曲、あるいはロッタリー999」に登場する言葉だけれど、このゲームをインストールした理由はまさにそのとおりだったし、紙一枚隔てた世界で人が群れをなして社会を形成していくさまを俯瞰する心境は、まさしくアリたちのコロニーをながめているときのそれに、とてもよく似ている。

 

映画「天空の城ラピュタ」の中でムスカが「見ろ!人がごみのようだ!」と高笑いするシーンはあまりにも有名ですが、本書を紹介するにあたっては、「見ろ!人がアリのようだ!」と言いたい。「最高のショーだと思わんかね?」なんて他人事のように笑っている余裕はない。私たちには到底起こりえないまったく別次元のおかしな世界の話をしているようで、じつは、我々の社会にある本質を巧妙に描いているのだから。

 

飛浩隆氏による解説はこのような言葉で締められている。「諸君、脱帽の用意を」

 

 

 

人間の巣の断面図

┃吉田同名

20××年〇月△日19時頃、会社から帰宅途中だった吉田大輔氏は突如、一瞬にして19329人になった。暗色の奔流と化した19329人の吉田氏は政府によって人里離れた廃病院や廃旅館などに収容され、厳しい環境下での暮らしで、彼らは次第に助けあって幾多の困難を乗りこえてゆく――。

歳をとるというのは嫌なもので、年々、「どうしてこんな世の中になってしまったんだろうな」と嘆くことが多くなってきました。人間の生きかた。世界のまわりかた。人類誕生から現在までの社会の変遷。〈吉田大輔〉というたった1人の男性の話なのに、そういう壮大なものを、「吉田同名」は客観的に、ときにユーモアを交えて教えてくれる。

 

果たしてどの私に私は収束するのか。そこに私自身の意識は依然としてあるのか。

 

(P22/L12〜13より引用)

 

大なり小なり諍いが起きるのは、私たち1人ひとりがそれぞれに肉体を持ち意思を持っているからに他なりません。だけど、個々に肉体があり意思があるから社会が生まれて世界がまわるんだよなぁ。考えさせられるおはなしでした。

 

自分と寸分違わぬ容姿と思考を持った人間があらわれたとき、私だったら、たぶん彼女を「自分」と容認しつつも絶対どこかで私こそ“オリジナル”だって自負するんだろうな。となると、彼女はやっぱりクローンとかコピーとか呼ばれる「他人」になるわけで。……こんなふうに考えてしまうあたり、うーん、私が大量発生した際は吉田氏のように集団で穏便に生活することは難しそう。みんなはどう?

 

 

 

┃半分世界

ドールハウスのように道路側の前半分がある日忽然と消えた家で、まるで何事もなかったかのように今なお平然と暮らしつづける藤原家。やがて人々は家の断面がよく見える向かいの〈森野グリーンテラス〉の部屋から、双眼鏡やカメラを持ちだして、この奇妙な家族を観察するようになり――。

先の総評に「アリの巣コロニー」の話を持ちだしたのはもしかしたらこのおはなしの影響が強くあったのかもしれませんね。家半分がきれいさっぱり消失した家。中学生寸前までガンガン遊んでいたシルバニアファミリーのことを思いだしました。巨人(私)に見られながら半分の家で暮らすというのは、いったい、どんな気持ちだったんだろう……。

 

「吉田同名」を人間社会の縮図というふうに考えるなら、「半分世界」は文化がいかように誕生し、発展、定着、そして終焉を迎えるかという縮図を見ているようなおはなしでした。発端はいつも受動・能動に関わらずなにかしらの“異端”であり、そこには信者が生まれ、いくつもの模倣や派生を経て文化として定着、それに伴い異端は異端でなくなり、やがて終焉を迎える。

 

たとえば耽美な西洋絵画の歴史も日本のアイドルやアニメ文化の変遷も基本的な構造はきっと変わらなくて、いつの時代も文化とは小さな異端から生まれ、ときに当事者たちすら予想のできない展開をもってして、熱狂的な愛で歴史の一部へと昇華していくんだろうな。

 

 

 

┃白黒ダービー小史

300年ものあいだ、24時間、年がら年中、白(ホワイツ)と黒(ブラックス)にわかれ1つのボールを奪いあい、追いかけまわし、ゴールを狙いあっている奇妙な町。この〈白黒ダービー〉のプロ選手として町の外からやってきた〈ぼく〉はパーティーで出会った美しい女性・マーガレットに一目惚れする。しかし、彼女は宿敵・ホワイツの監督の愛娘でありプロ選手だった――。

「ねぇ、歴史ってなんのために作られたか知ってる?」

 

(P142/L10より引用)

 

「白黒」というからてっきり町全体で人間オセロか人間チェスでもやっているのかと思ったのですが、サッカーでした。なるほど白黒(ボール的な意味で)。歴史にサッカーとまったく興味のないものが2つもメインを張ってしまったので、読むのは個人的にはちょっと苦痛だったかな。

 

P173でトムが言うように、「自分たち本当のところまったくのグレーだっていうのに、思想と言動は白と黒でがんじがらめ、黒は実は白が欲しくて、白は黒が欲しい」。この世界に脈々とつづくどの歴史の根幹にもきっとこれがあるのだと思います。人間はとかくなんでも名前と定義を決めつけたがる。知らないことはこわいから。

 

見ることによって得られるすべての情報を知っていて、色彩をあらわす言葉とその使いかたも理解している、しかし実際に色を見たことはないというある聡明な科学者がいたとして、彼女が初めて色を見たとき、そこから“なにか”を得ることはあるのだろうか。――知識は人生を豊かにするものだけど、思考実験「メアリーの部屋」よろしく、知識ってなんなんだろうって、このおはなしを読むと考えてしまいますね。アダムとイブが禁断の果実を手にとらなければ、この世界にはもっとグレーがあふれていたのでしょうか。淡く優しいわからかさを持った、白にも黒にも染まらぬグレーが。

 

ちなみにサッカーだしトムだけど「トムさんのサッカーテクニックス」はまったく関係ない。

 

 

 

┃バス停夜想曲、あるいはロッタリー999

灼熱の太陽、立ちこめる砂塵、あちこりにそびえる大きな岩やサボテン。ここは“バス停”。たがいのわずかな手荷物をわかちあいながら、誰もが次に乗るべきバスを待ちつづけている。1つのタンクで水を共有するグループ、女性だけのグループ、元商社マンの男を筆頭に勢力を拡大しているグループなど、彼らがそれぞれに待ち望むバスは、いつか、やってくるのだろうか――。

高校生のときは電車+バス通学だったのですが、一度だけ、バスでウトウトしていてうっかり乗り過ごしたことがあるんですよね。幸いにも1つ先のバス停で気づいたのであわてて降りましたが、毎日駅前と高校前のバス停を往復するだけの私にとって、そのたった1区間すら見知らぬ土地。軽くパニック。だけど毎日無意味に教室に1番乗りしていた私に死角はなかった。

 

もうひとつバスにまつわる話があって、昔、祖父が茨城の田舎に住んでいたのでちょくちょく会いに行っていたのですが、あのへんってバス1時間に1本しか出ていないんですよね。そんなめちゃくちゃのどかなバス停で陽だまりの中帰りのバスを待っていると、ひょっとしたらこのまま二度とバスなんて来ないのかもしれない、とかちょっと不安になったりしたっけ。

 

「……そんなに長いあいだバスを待ってるんですか」
「三日」
「三日?」
「おれなんかまだかわいいもんだ、あそこのやつなんかもう一週間ぐらいになるらしい」

 

(P187/L1~4より引用)

 

そんな、バスに乗ったことがある人なら誰しもチラとは考えたことのあるような話が、少々不思議な形で現実になってしまうのがこのおはなし。見知らぬ土地の片隅で、延々と次に乗るべきバスを待ちつづける。一晩中、あるいは1週間、いやそれ以上。犬歯の裏を舐めて分泌した唾液で渇きを潤し、燃やせる私物はすべて火の中へ、頼みの綱は、新たに迷いこんできた人々の荷物に混じったわずかな水分と食料。そんな生活をあなたなら何日つづけられるでしょうか。自分を目的の地へ連れていってくれる、たった1本のバスのために。

 

人が集まるところには善があり、悪があり、去る者がいれば来る者がいる。群が生まれ、孤独が生まれ、ルールが定められ、ルールをめぐる争いが起き、そうしたすべてが文化として継承され、ふりかえるとそこに歴史が生まれる。始点と終点を見つけると歴史はくりかえす。いやぁ、人間とはまったく、愚かしくも興味深い生きものですね。

 

電車でいうところの「きさらぎ駅」。もしもあそこにたどりついてしまったら。そこにある世界はもしかしてこんなふうなんだろうか……と想像しながら読み進めました。

 

 

 

わけわからない話って本当にいいもんですねぇ

私としては笑っちゃうくらいわけわからなかったのでおもしろかったですが、そうですね、人に勧めるとなると半々の気持ちです。「吉田同名」「半分世界」までは万人受けしそうな設定なので文章さえ慣れれば楽しく読めると思うのですが、「白黒ダービー小史」「バス停夜想曲、あるいはロッタリー999」はページ数もグッと増え、異国情緒あふれる幻想的・非現実的な、よりコアなおはなしになっていくので挫折してしまう人もいるかも。個人的には表題作が好きです。

 

最後まで状況を理解しきれないまま終わった、という一條次郎『レプリカたちの夜』のような読後感があるけれど、本書は独特とはいえ一応それなりにルールや秩序があるのでとっつきやすさでいうとこちらに軍配があがるでしょうか。これとはまったく別次元の異空間に投げとばされるしそれが楽しいのが草野原々『最後にして最初のアイドル』。褒めてる

 

いやぁ、わけわからない話って、本当にいいもんですねぇ(水野晴郎ボイス)。

 

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。