未来の私へ

 

ブログのデザインが変わりました。あとになってからあれはあったほうがいいんじゃない?これもあったほうがいいんじゃない?と未練がましくウジウジ言いだす自分の姿が目に見えているので、今回のリニューアルで排除したものと排除した理由をここに書いておきます。納得してください。

 

 

 

1.about

 

Webサイトの「はじめに」のページって要は西野カナの「トリセツ」なんだよ。こんなサイトだけどこれか〜ら〜もどうぞよろしくね~♪って、相手がこの先も継続的にサイトへアクセスすることを想定して書いてる。で、読書ブログを利用するユーザーがそれに該当するかというと、そうではないよね。

 

私自身がそうなんだけど、大抵の場合、読書ブログを見に来る人って「この小説、他の人はどう読んだんだろう?」って感想を共有するのが目的だよね。で、記事読んでハイ感想共有できました、「以来ずっとこのサイトにはお世話になりっぱなしです♡」にはならなくない?趣味があえばありえない話ではないけど、無駄に17年もある読書歴の中で、自分と趣味がぴったりあう人見たことなくない?いないから、みんなわざわざ読書会とか開催して読む本を一時的にでも統一させてるわけで。

 

つまり、読書ブログのユーザーって基本的には常に初対面なのね。初対面じゃなかったとしても「あれ、この人前にも会ったことあるかも?」ってひそかに思うレベル。そういう相手にいきなり自作の「トリセツ」かます意味。気まぐれで入店したレストランでいきなり「ウチは創業〇年、こういうコンセプトでやっていて食事の仕方にも独自のルールがあります」みたいな話されたら次絶対行かないよね。この店長面倒くさそうだし。

 

というわけで、初対面の人にむかって「トリセツ」歌うの禁止。aboutのページがなくても、誰でも直感的に操作したり読めるユニバーサルデザインを意識していこう。

 

 

 

2.あらすじ

 

前に中田敦彦がYoutubeで「本屋は試し読みし放題」って話してて、それってすごいあたりまえなんだけど重要なポイントで。直接本屋に行けばわかることを紙幅割いて説明するの、無駄じゃない?本の内容や雰囲気を知るための情報なら引用で充分だし、むしろ下手なあらすじよりどういう状況でこの一文に至ったのか想像するほうがよっぽど興味出るよね。人が本を手にとる機会を奪うのは読書家のすることじゃないでしょ。

 

読書系SNSも次々に出てきて、ああいうところはどれだけ本に興味をもたせられるかとか、ニッチなもの選ぶかとか高尚なことが言えるかとか、常にビブリオバトルしてるみたいな空気あるけど、私は作品を書いた小説家でもなければ作品を1冊でも多く売らなければいけない編集者でもなく、書評家でもなく、プレゼンターでもなく、ただの読書家じゃん。そういう人達のもっと率直で単純な感想こそが本の真髄だって、信じてるじゃん。

 

勝手にインプットして、勝手にアウトプットして、それだけじゃものたりないから穴掘ってその中で思いっきり「好きなんですけどーーー!」って叫んで。そういう独りよがりがたまに運命的に共鳴しあう。それでいいじゃない。その独りよがりに「あらすじ」っていうよそいきのお面ははたして必要なのかって話。いらないよね?排除。

 

 

 

3.サムネイル

 

最初は装丁担当にでもなった気分で本の雰囲気にあう画像見つけるのも楽しかったんだけど、読書のペースが増えて記事の更新頻度と文字数が増えるようになってきたら、画像厳選する時間すごい無駄に思えてきた。厳選したところで結局フリー素材だし。フリー素材ってさ、やっぱりどこかしらでフリー素材だってわかっちゃうんだよね。わかっちゃうと、「フリー」って言葉引きずってサイトや記事も安っぽく見えちゃう。

 

メンタリストのDaiGoがこれからのYoutubeについて質で淘汰されていくみたいなこと言ってたんだけど、これはブログ界隈も同じで、動画コンテンツの時代に移行した今だからこそWebサイトはきっとこれからどんどん本来の文章の質が問われるようになる。となると最適解ってやっぱりシンプルなテキストサイトなんじゃないかなって。そのとき画像は絶対足かせになる。文字を読みに来た人間の脳味噌にとって画像はノイズだから。

 

あと中途半端に自分で画像がつくれるようになってしまうとね、画像でウケ狙おうとしたり、やたらと図で説明したがったり、画像に頼る癖がつく。私が目指してるのってオモコロライターだっけ?違うよね?読書家ライターだよね?なら画像を貼らなくても人に伝わる文章が書けるように日々研鑽してください。あとウケを狙ったところで自分はそんなにオモロな人間じゃないことを自覚してください。

 

 

 

4.見出し

 

最初、技術担当には「目次つけたい」って案出してたのね。考察とか企画の記事は長いから、目次から各見出しに飛べたほうが読みやすいと思って。そしたら返ってきた言葉が「前から思ってたんだけどさ、目次ってなんのためにあるの?普通最初から読むじゃん。あとでつづきから読むときのため?でも読みなおすときも結局最初から読むじゃん」そんなバナナと思っていたら、このあいだネットサーフィンしてるときまったくおっしゃるとおりのことしててびっくりした。知ってた?Webサイトに目次って、本当、いらない。

 

見出しって、その小節になにが書いてあるか読者に説明するためにあるよね。だけどさ、自分が読者であるとき、実際のところはだいたい頭から読んでるよね?目次いちいちチェックしないよね。だってWebサイトの記事って基本的には構成みんな一緒だもん。落語でいうところの枕があって、まず先に結論を述べるでしょ、そのあと論拠をあげて、結びの言葉。なんでかってみんなこの形式でレポート書くよう大学で学ぶから。実際、これが一番読みやすいし文章に説得力をもたせられる。

 

頭から順に読んで納得できるように構成された文章ならさ、最初から読むじゃんね、普通。見出しと目次完全にいらなかった。

 

 

 

5.Twitterの投稿画面

 

Twitter自体はまだやってるけど、更新情報以外、つぶやくことまったくない。皆無。その更新情報ってのも今サイトに来ている人にとっては意味のない情報だよね。消そう。

 

そもそもTwitterってのも、たとえば更新情報に対して「読みました!」「ありがとうございます!」のやりとりをする簡易問い合わせ窓口的な役割としては有用だけど、それ以外の活用方法は自分にあってないなーってTwitterはじめて以来6年目もずっと思ってる。ブログに関係ないプライベートつぶやこうとしても「この話は今読んでる小説の感想につなげられるな」って結局ブログに書いちゃうもんな。私が好きな文章を書く人たちがもれなくSNSやってなくて、なんでだ!情報まったく追えない!って思うことあるんだけど、あれもつまり、本当に言いたいことはすでに本丸に書いてるからなんだよね。

 

継続的にブログを見てくれる人は更新情報なんて追わなくても日常的にブログにアクセスする癖がついてるし、そうなると、やっぱTwitterの役割ってこういうことをやっていますっていう初対面の人間にむけた名刺なんじゃないかと。とはいえTwitter経由で仕事が来たことはないし、私の使用目的としてはコメント欄または簡易的な問いあわせ窓口でファイナルアンサー。

 

 

 

というわけで、今回のリニューアルはこういう理由があって、自分が読書ブログを見るとき重要視するものを必要最低限残すデザインに至りました。今までブログの方針とか表記ルールとかプロフィールとか丁寧すぎるぐらい慎重につくってて、ホスト側としてあれもこれもとおもてなししたい気持ちはね、わかるよ。わかるけど、これだけインターネットが普及している現代に「読書ブログに来るのはじめてです!よろしくおねがいします!」って人間はそうそういないわけ。インターネットにおける情報の取捨選択のルールが相手にもすでに独自に確立されてるわけ。なにもかもバカ丁寧に説明するんじゃなくて、相手を信じるというやりかたもブログ運営においては大事なことだよ。こちらからは以上です。納得してください(2回目)。

 

2020年3月2日現在の私より

 

Ranking
Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
読んだ小説の感想や考察を書いています。好きが高じて元小説家志望なので、一篇の物語のように心躍る記事が書ければ。ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれます。小説の他に哲学、美術、神話などの学術本も好きです。