池ヶ谷良夫、中林進、澄田隆司、3組の家族の“主夫”を中心に描かれる差別と葛藤の物語。3組の家族の視点からとある事件、その影響を描くという構成は『明日の食卓』に酷似しますが、これって作者が得意とするフォーマットなんでしょうかね。それとも『明日の食卓』の映画化に味をしめた編集者の指示か。個人的には気になるところです。……え?そんなことより主婦じゃないのかって?

 

ねぇ、なんでこんなことが起こったの? なんでこんなひどい目に遭わされたの? これが現実なら、こんな世界いらない。最低最悪の世界。消えてなくなればいい。

 

(P8/L6~7より引用)

 

本書のタイトルは『ミラーワールド』。なんと、現代日本における男女の立場がまるっきり逆転した世界を舞台としているのです。

 


 

どこを読んでも、肝心のエアロビックの内容については触れられていなかった。妻さんの子育てへの協力を絶賛し、田原選手の顔立ちと全身の筋肉を褒めちぎり、ついでといったふうを装って、イチモツについて冗談めかして書いてある。

 

(P131/L7~9より引用)

 

あなたは、この社会を異様だと思うでしょうか。私は思った。思ったけど、おそろしいことにこんなことは私たちの世界ですでに普通に起こっている。男だから異質に見えるだけ?こんなことは現実には起こらない?でも、私はアベマの「給与明細」という番組で容姿や体つき、“男”を商売にした男性地下アイドルたちの実態を見てしまった。男だからとか女だからという問題じゃないんだ。この小説に、疑問ではなく嫌悪感を見出してしまった時点で、私たちはその価値観に慣れすぎてしまっている。

 

あるいは、平等と報復を履き違えている人が多いなと。澄田の娘・まひるは最後「彼らみたいな男たちが国を動かしてくれたら世界は変わるのに」と本気で思うのだけれど、女性優位の社会が不十分だから男が、というのではこちらの社会の模倣になりかねない。平等は難しい。

 

たとえば、ジュリアン・バジーニ『100の思考実験 あなたはどこまで考えられるか』(向井和美・訳)には「喫茶店で暮らす人たち」という思考実験があります。

 

男はとある喫茶店の常連だった。この喫茶店は料理や飲みものがとびきり安く、あるとき男は店主にその安さの秘密を訊ねてみる。店主の答えはこういうものだった。「ウチの従業員は全員アフリカ人なの。みんな、生きていかなきゃならないのに正規の職にはつけないのよ。だから地下にある貯蔵庫に住まわせて、週給5ポンド(約787円)を現金でわたしているの。彼らは一日中、週6日働いてくれるわ。あら、そんな顔をしないで。彼らは助かるし、私は儲かるし、あなたは安く食べられる。みんなのためになっているのだから」

 

ちなみに、著者はこの問題について「核心となる点は、この喫茶店ネストが従業員たちの困窮につけこんで、賃金をできるだけ低くしていることだ。不公平さはおもに賃金の低さではなく、欲に駆られて従業員の幸福に関心を向けていないところにある」と言及する。個人的には、ここに真の平等のヒントがあるような気がする。

 

また、noteのCXO・深津貴之さんも「超フェアな世界でも、格差は勝手に生まれる」という興味深い記事を書いておられるのでチェックされたし。

 

将来、人種や性別や年代や場所や…もろもろの差を無くして、搾取もなくして、不正もなくしたとしても、それでも格差はなくならない。完全にフェアな環境を作っても、ランダムネスだけで、ここまで格差が生まれてしまう…というのは、ちょっと衝撃でした。

 

結局、男女をはじめとしたあらゆる社会の差異を最小限に留めるには〈個人を見て、本質を見る〉。これに尽きるのではないかと。本書でいえば田島さんなんていい例だと思うのですが、彼、序盤は児童虐待にかこつけて気難しい青ちゃんを体よく学童から追いだしたように見えて最後は乃々香を助けているんですよね。「お礼なんてとんでもない。当然のことをしたまでです。同じ男として申し訳ないです」

 

良夫にとっては「正真正銘の嫌な奴」だけれど、乃々香にとっては「命の恩人」で「心ある男性」。これがすべてだと思いました。人間は多面的な生きものであり、私に観測できるのはごく一部でしかない。誰もが善人であり悪人であると。すべてのものは平凡な存在――コペルニクスの原理ですね。

 

世の中、捨てたもんじゃないと思った。卑劣な男に襲われたけど、心ある男性二人に助けられた。

 

(P245/L3~4より引用)

 

だからこそ、乃々香はエピローグを「男性二人」ではなく「中林くんと田島さん」で締めるべきだったと思ってしまうのです。これが乃々香の中に未だ潜在する女尊男卑を意図して描いた言葉なのかは、わかりませんが。

 

余談ですが、乃々香やあるいは蓮を襲った犯人たちに理由を求めている自分がいてぞっとしました。性犯罪に理由なんてないんだよなぁ。自分だって高校生のとき自転車で全力疾走しながら背後からおしりや胸を触って(突きとばして)きた痴漢の思考回路まったくわからなくて泣いたの、忘れたとは言わせない。フィクションで丁寧に語られる悪役の過去やトラウマに慣れすぎているわ。よくない。

 


 

さて、鏡とは基本的に身だしなみを整えるために使うものですが、転じて手本や模範といった意味もありますね。

 

ポッドは三機一組で運用される。私、042も153もそれぞれ三機いる。自我としてはひとつではあるものの、同一自我を持つ機体同士での会話を行う事は可能である。私は時に「別の私」と対話し、時に三人の「私」で対話を行う事もあった。

この「対話」に、自我の芽生えと成長を促す鍵があるのではないかと愚考する。

 

これはゲーム『NieR:Automata』の小説版『NieR:Automata 長イ話』に登場する言葉ですが、この同一自我、「別の私」を本書『ミラーワールド』の世界で生きている自分と置き換えることはできないでしょうか。

 

今ここにいる自分とは考えかた、もしかしたら状況や性別までもまったく異なった自分と対話を行うことで、私たちはまた成長する。男性、女性としてではなく、絶えず変化していくこれからの社会を生きる人間として。

 

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佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。