森晶麿『偽恋愛小説家、最後の嘘』を読みました。前作からどのぐらいぶり?うそ、5年……?控えている積ん読のリストがえぐいので今回はとくに前作・前々作の再読とかはしなかったんですけど、それでもすんなり文章や世界観に入っていけました。正味1日で読んじゃったな。さすが森晶麿。いや、森センセ。
今回は作家・星寛人がSNSの公式アカウントにて「最高傑作ができてしまった」とつぶやいたことから各出版社の編集者たちによる原稿の争奪戦が開始。が、その最中に星寛人は自宅マンションの屋上で死亡してしまう。真夏に起きた凍死事件の真相とは。そして、遺稿となった最高傑作の行方は?――という内容。
こういうことかな、というのは読んでいてある程度予想できたのですが、聞いてくれ、そんなことより明かされた真実が性癖ドストライクだった。欲をいえば〇と〇〇が逆の立場だったらもっとよかったけど、ネタバレになってしまうのでこれ以上は言えません。
一方で夢センセは「夢野宇多」という自身の作家像と、月子は己の編集道と、むきあっていくことになります。
「どんどん現在の自分と、執筆しているものの間にズレが出てきてしまってね。作品は作者とイコールではない。だが、反面、作品の中に永久に〈読み手が見出す作者〉はいる。そのような形で、作者は作品に自己投影せずとも、読み手によって文体と一つにならざるを得なくなる」
(P187/L15~18より引用)
このあいだ山田五郎のYoutubeチャンネルでミレーの回を観た私は共通点を感じざるを得ません。
ミレーはもともと歴史画家になりたかったのですが、なかなか賞を獲れず、肖像画や裸婦を経てバルビゾン派と出会い、1848年、とうとう《箕をふるう人》で大絶賛されます。
当時のフランスはブルジョワ中心の七月王政を労働者たちが倒した二月革命直後。そう、サロンはまさしく労働者を讃える絵を求めていました。さらに男の身に着けている衣服が偶然にも赤・白・青だったため、「フランスの労働者を象徴している」とミレーの意図せぬところで作品はますます評価されることとなります。
ナポレオン3世の時代になるとフランスはふたたび保守的になり、ミレーは歴史画家として《刈り入れ人たちの休息(ルツとボアズ)》を発表。しかし、このときすでにミレーには農民画家のレッテルが貼られていました。
歴史画家になりたい自分と農民画家として評価される自分。その板ばさみの中で描いたのが、代表作《落穂拾い》だったのです。
人は得てして自分が望むままの評価を得られず、なりたいものになれない。でも、評価してくれるだけありがたいじゃないか。腐らずにやっていこうぜ。五郎さんが動画内で仰った結論に、夢センセもまた自力でたどりつき、最後には月子という存在によって昇華されたように私には見えました。
得てして得られずって、編集者に赤入れられそう。
というわけで、前作から5年寝かせた『偽恋愛小説家、最後の嘘』は期せずして性癖に刺さり、読者として考えさせられ、隠喩やコードなど文章を書くうえで参考になる話もあって結果とってもおもしろかったです。
そもそも『雪の女王』もかなり脚色されたディズニー映画版で有名になってふしがあるので、個人的にはそこもミレーの教訓に重なるなと。
参考にした動画
【ミレー】なんで落ちた穂を拾っているの?【落穂拾い】