鈴森丹子『おはようの神様』を読みました。前作『さよならの神様』のタイトルに胸さわぎを覚えてからおよそ1年。大好きな〈ポコ侍〉シリーズが帰ってきました。待望の新作はやっぱり萌えたり笑ったり泣いたり、ときめきがとまらない1冊でした。泣いているとき、主に電車の中だったんですけどね

 

 

 

おかえりの奇跡

1年前、『さよならの神様』というタイトル、そしてあのラストシーンを読んだとき「ああ、終わってしまうんだ」という予感は正直あった。だけど書店を訪れ話題にのぼるたびに「あきらめたら?」という友人に、あるいは自分に、「終わってないから!」と言い(聞かせ)つづけ。

 

とうとう、ブログの記事を書いているときに偶然Amazonで見つけた「おはようの神様」の文字。一旦『シロクマ係長の奇跡』がFF外から失礼しますって通りすぎたあと(通りすぎるときはもちろん読んだし萌えたし笑ったし泣いた)、「おはよう」って、なにもなかったふうな顔をしてポコ侍が帰ってきました。正真正銘、神様に祈りが通じた瞬間。鈴森作品すべて読んでいる私にはそれはまさに「おかえり」の「奇跡」でした。

 

今年5月に大山敦子『あずかりやさん 彼女の青い鳥』を読了したとき、好きだったはずのシリーズの最新作で感想の筆がまったく進まず、自分自身の心の成長をうれしくもさみしくも感じたあとの〈ポコ侍〉シリーズだったので読むのは少しこわくもあったのですが……ネタバレするけどこの記事約4500文字。原稿用紙に換算したら10枚以上あるの。完全に杞憂。

 

むしろシロクマ係長が「FF外から失礼しますねー」って通りすぎたことによって私が本作を読むべきタイミングがぴったり整って、これまで以上に泣かされた気がする。たぶん「今電車!ねぇ!電車!!」って心の中で5回ぐらい叫んだ。

 

あとがきには「してもいないのに恋愛疲れに陥ってしまいどうしてもこの物語に向き合えなくなっていた私は、続きは書けないと断念。またポコ侍を書きたいと思えるようになった時には年月が過ぎていて、もう書かせてはもらえないだろうと諦めていました」とありましたが、鈴森さん、鈴森さん本当にめちゃくちゃとってもありがとーーーーーう!。゚(゚´ω`゚)゚。

 

大事なことなので2回名前呼んだし語彙力がビックバン起こした。本記事は応援上映となっておりますので「ありがとーーーーーう!」のところはキュウソネコカミの「The band」大サビ前(03:06~)を参考にしてみんなも叫ぼう。

 

 

 

 

私たちにはきっと「さよなら」の期間が必要だった

信じられないことにここからが本題。見たか、原稿用紙10枚の威力。盛りあがっていこー!テンション上がりすぎて私の中の[全力チアガール]姫川有紀+がLIVEをはじめてしまいましたが、以下、各話感想です。序章と「続・同居の神様」は割愛しました。

 

同居の神様

遊園地でアルバイトをしている神木尋心ひろこは、新しくはじまる園内でウェディングフォトを撮るサービスに元カレがあらわれたことにより、失敗を重ね、社員登用の大チャンスをまんまと逃してしまう。傷心の尋心はやけ酒の末に道端で出会った狸を拾って帰るが、狸は「それがし神様でござる」としゃべりだし――。

まさに一心同体というか。どちらが先とかじゃないけど、身体があって、心があって、身体の不調は心から、心の不調は身体から。落ちこんだときこそ美味しいごはんだな、と、心底感じられるおはなし。

 

「お嬢、いかがした?」

「へこんでるの」

「そのようには見えぬがな」

「どこ見てるの。お腹じゃなくて、心だよ」

 

(P76/L9~12より引用)

 

ポコ侍こと山の神様が相変わらずで安心しました。そうそう、この日曜日の昼間みたいなだるんだるんの会話、これを待ってた。

 

女性は話に共感を求めるって前どこかで聞いたことがあるけど、ね、本当それ。ポコ侍然り、八城さん然り、誠実に話をただ「聞いてくれる」。聞いたうえで自分の意見をあくまで“自分の意見”として言ってくれる。そういう人はいいなと。

 

おかえりの神様』から推しつづけている天野夫妻にも久しぶりに出会えてうれしかった。天野がすかさず「それは妻の名前です」と訂正するの相変わらずのパワーバランスで笑う。ポコ侍はこの話聞いたとき名前込みで聞いたのかなぁ。だったとしたら「ずっと真っすぐに」神木ちゃんを見つめて話を聞いていたのは相当胸熱。

 

 

 

料理の神様

遊園地のレストランでコックとして働く八城は、ひょんなことから、同じ遊園地で働く神木尋心に弁当をつくって届けるようになる。腹違いの弟との仲がよくなったきっかけ、そして料理人を目指すようになったきっかけを思いださせてくれた神木さんに心を動かされる八城。揺れる想いを聞いてくれたのは、神木さんの友人だという、「神様」を名乗る奇妙な男だった――。

これで良かったと薬味で胡麻化ごまかすのではなく、手間をかけて本来の味から少しでも苦みを抑えたい。

 

(P125/L1~2より引用)

 

ハァ━━━━(*´Д`)━━━━ン!!

 

窒息するかと思った。天野君以来、これは大変にいいものを見せていただきました。ありがとうございました。読了から2日経って冷静に考えてみてもさ、え、八城さんよすぎない?誠実すぎて不器用な感じまさに青春。青春の塊。青春鎌足せいしゅんのかまたり(614~669年)。

 

誰かのために料理をつくるのはとっても楽しいって、わかるなぁ。私も料理はとりあえず人並みにできるけど一人で食べるときはめちゃくちゃ適当になる。つくるのつまらなすぎて。ごはんにマヨネーズと塩かけたのカカカッと掻きこんで終わりとか平気でやってる。だけど誰かのためってなるとつくったことのない料理でも「簡単」でレシピ検索して、なんか、がんばってみたりして。それで「美味しい」って言ってもらえたらやっぱりうれしいんだよね。

 

ネタバレになってしまうのでいろいろ断腸の思いで伏せるけど、ラストシーンのあったかさがすごくいい。よすぎてちょっと泣いた。あーんもう、大切な人のために毎日料理をつくって一緒に食べたい。私もそういう青春鎌足になりたい。

 

大きな声では言えませんが過去にも何度か登場していた小宮君の存在を若干忘れていたので、まさかこんな形でつながっていくとは思いませんでした。同じ立ち位置だったミヤダイのことは覚えていたのにすまんな。でも一発で人柄がわかるP131の素直で優しい言葉、一生忘れないよ。

 

 

 

散歩の神様

遊園地で働く八幡礼二は、妹分の神木尋心にせっつかれたりなどしながら職場恋愛中の恋人・沙羅との結婚を考えていたが、プロポーズを決意した矢先、彼女の様子がおかしいことに気づく。プロポーズを察したところで2人の時間を避けるようになった沙羅。そして彼女はある日部屋を出て行ってしまう。モヤモヤしたものを振りはらうため散歩に出かけた礼二だったが、その腕には「神様」と名乗る見たこともない動物がしがみついていて――。

「帰ってきた途端に別れ話をされても、するんですかい?」

「嫌なこと言うなよ。それでもするんだよ。必ず」

 

(P191/L14~15より引用)

 

ねー、もうやだ、号泣

 

電車の中で読んだからだいぶ我慢したけど、それでも、やっぱちょっと泣いちゃったわ。私も20代後半になっていよいよ「結婚」という言葉が現実味を帯びてきたから、自己投影がね、すごい。さながらVR。

 

これは「料理の神様」を読んだときも思ったんですが、ふむ、私はどうやら男性の表には出さない弱さというものが好きなのかもしれません。自分が決して強くはないことはわかってる。それでも、それはわかったうえで、男はときにいろんなしがらみで強がらなきゃいけないときがあってさ、だからどうにかしたいって姿がさぁ!見ていて苦しくてさぁ!泣きたいくらいに魅力的でさぁ!ああああくぁwせdrftgyふじこlp 。

 

「私は幸せになろうとする事に貪欲でありたい」っていう「レイ」こと沙羅の言葉が素敵だった。私は自分自身がそうであろうとすることを傲慢だ怠惰だって許そうとしなかったけど、人が言ったのを素敵だと思えるってことは、自分もそうであっていいってこと、なんだよね。……あ、やばっ、また泣きそう。

 

 

 

有休の神様

有給をとり、恋人・礼二と同棲していたアパートを出て実家に戻った多門沙羅。出ていった理由を礼二に打ち明けられないまま、ある日、自室の押し入れから過去の自分を救い、礼二と親しくなるきっかけにもなったなつかしのゲームを引っぱりだそうとしていると、沙羅の前に見ず知らずの男があらわれた。自分は「神様」だという奇妙な泥棒(?)から身を守るため、沙羅は毎日やってくる彼とならんでゲームをする羽目になり――。

楽しいのだと私は思う。距離が縮まれば擦れ違いや、衝突することもある。けれど、この人と一緒にいることが、どんな状況下であっても私は楽しくて仕方がない。

 

(P241/L7~8より引用)

 

電車の中だんだっでばぁぁぁぁぁ!

 

相変わらず電車内だったので目がちょっとうるんでいるぐらいにどうにか擬態したけど、心の中でまた号泣していました。

 

最初のページを開いたときから、ずっと、なんで『シロクマ係長の奇跡』をはさんでこの空白期間をつくったんだろうって考えていました。だけど「散歩の神様」と「有休の神様」を読んだあとはね、むしろ、空けてくれてよかったとすら思ったんですよ。ひょっとして(しないとわかっていても)私のためにこの空白期間をつくってくれたんじゃないか、って。

 

私のような人間でもね、親を持てばやはり言われるわけです。結婚とか子供とか。ぼんやりしてるとこっちの足腰が弱って孫も抱けない、どうにかしたまえと。ではカスタマーセンターにおつなぎしますのでそのままお待ちくださいとか言ったりしてね。「心配しなくてもそういうの自分が一番心配してますからぁ!」ってカスタマーセンター的には思ってるしね。

 

自分が実際そういう立場になってみると、んまー、刺さるわけ。礼二の気持ちも、沙羅の気持ちも、新キャラ・島の神様(クァッカワラビー)の言葉も、物語のすべてが。いい意味で。2年前、『さよならの神様』を読んだすぐあとだったら、きっとこれほど感情が揺さぶられることはなかった。だからこのタイミングで本書が読めたこと、今はよかったって思っています。

 

 

 

ガキのままごとをするつもりはない

というわけで、1年ぶりに〈ポコ侍〉シリーズ待望の最新作の感想でした。どれだけうれしかったか、おもしろかったか、好きかっていうのはテンションでわかっていただけましたね?

 

本書、というか〈ポコ侍〉シリーズ全体を通しての魅力ってP191で礼二が語った「好きで始まり結婚で終わるガキのままごとを、沙羅とするつもりはない」という言葉に集約されている気がするんです。

 

それこそ恋ではじまり愛で終わる大抵の恋愛小説のようなわざとらしさがなく、ドラマチックでもなく、説教くさくもなく。衣食住と人生の基本をしっかりおさえながら、あとは、そこにあるものを、あたりまえに、ありのままに。そういうところが恋に恋する時期を終えた私には心地よくて、うん、好きだ。

 

続編を信じている

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。