Raccoon photo

 

 

 

このあいだ、
久々にクレーンゲームで遊んできました。

 

みなさんはクレーンゲームは得意ですか?
私は可もなく不可もなくといったところです。
獲れる獲れないに関わらずゲームとして純粋に好き。

 

そのときは
かわいいねこのぬいぐるみを狙っていたのですが、
これが700円ほど使ってもどうも獲れそうになくて。

 

悪あがきみたいに隣にあった
レッサーパンダのぬいぐるみにも挑戦したんですが、
レッサーパンダは獲れないのになぜかたぬきは捕獲。

 

100円で一発獲りでした。
レッサーパンダは難攻不落だったのに。

 

あとでキャラクター名を見たら
名前が「どさくさたぬきくん」で
あまりのネーミングに愛着しかわかなくなりました。

 

※参考
http://www.amunet.co.jp/lesser-panda-chan/

 

デフォルト名では不憫なので、
「たぬきち」って名前をつけておきました。
今は部屋のベッドのところで元気にしています。

 

というわけで、
今回はたぬきのおはなし。
鈴森丹子氏『ただいまの神様』読了です。

 

 

 

騙された、いや、化かされた!


 

 

中神結は悩んでいた。

 

いつも自分を助けてくれる
神様のような存在の姉に、彼氏ができたらしいのだ。

 

しかし
相手はいかにもダメそうなチャラ男。
大事な姉を傷つけずに守るには、一体全体どうすれば?
新天地に越したばかりの身では、相談できる人もいない。

 

……でも狸ならいた。

 

荷物に紛れていたこの狸、
なんと人の言葉を喋りだし、
おまけに自分は神様だと言い出して……??

 

『神である以上、悩める人あらば放ってはおけぬな』

 

“なんでも話せる相手がいる”温かさをお届けいたします。

 

※あらすじはメディアワークス文庫HPより引用しました。
※1話目の「同居の神様」が立ち読みできます。
http://mwbunko.com/978-4-04-892600-3/

 

 

 

出先にて、
読みかけの本を読みきってしまったので
急遽補充するために買ってきた1冊です。
表紙がとんでもなくかわいいので即決でした。

 

Twitterにも書きましたが、
読みはじめは「同居の神様」の主人公である
結ちゃんのラノベ調な一人称が肌にあわず、
しかもこの小説がなんと続編だったことに
途中で気づいたので失敗かなと思っていました。

 

ところが。

 

導入に違和感がなかったので、
気にせず最後まで読んでみたら名作…!
結ちゃんの一人称が~という話は星になった。

 

帯に「奇跡も神通力もないけれど」とあるとおり、
神様は文字どおり“なにもしない”んですけど
しかしそこにすごく重要なテーマが隠れていて。

 

構成が巧くて思わずうなりました。
騙されたと思ってぜひ読んでみてください。
いや、“たぬきに化かされたと思って”かな。

 

以下、
各篇の感想をまとめました。

 

※序章と終章(「宴会の神様」)は割愛させていただきます。

 

 

 

自己解決は解決ではない


 

 

同居の神様:

 

「今付き合っている彼氏の事で悩んでいる」

 

大好きな姉が酔ってこぼした悩み。
「年上」「同じ会社」「身近な存在」
手がかりを頼りに彼氏の正体をつきとめてみると、
思いあたったのはなんだか“チャラそう”な男性。

 

彼に不信感を抱く結だが、
相談できるのは新居にあらわれた“神様”だけ――。

 

 

 

前述したように、
主人公・結ちゃんが
ちょっとクセのあるキャラクターです。
「○○ですなー」をはじめやや日本語に
ラノベ臭を感じます、が、憎めない子。

 

人は見かけによらないといいますか、
チャラそうな人というのは軽薄そうに見えてその実、
愛想がよくて誰にでも臆せずに声をかけられるので
他人への親切にも迷いがなくいい人も多いですよね。

 

私はコミュ障の豆腐メンタルなので、
そういうところはとても尊敬します。

 

 

 

晩飯の神様:

 

晩飯に入った店で出会った、
チャラそうで、マヨネーズ好きな、不思議な青年。

 

どこにでもあらわれ、
なんにでもマヨネーズをかけて食べる彼に
崇司は持ち前の社交性で声をかけてみるが、
気がつくと“あの子”のことを相談していて――。

 

「若い子は難しいよ」

 

悩める30代と
「神様」と名乗る青年の夕食の風景。

 

 

 

主人公が変わりまして、
「チャラシ」こと崇司のおはなしです。

 

最初はつかみどころのない印象でしたが、
読んでみると私の身近に似ている人がいました。
得体の知れない寂しさに胸がキュッとなります。

 

前回『花魁さんと書道ガール2』の
感想記事で書いたことをくりかえしてしまいますが、
厳密な意味で人と人が理解しあうことはできません。

 

ただ、
愚直に歩みよることしかできないんです。
これができる崇司は立派な人ですよ、素敵だ。

 

 

 

公園の神様:

 

一世一代のプロポーズは、
仕事を理由にあっけなく断られた。
交際が続いていることだけは不幸中の幸いか。

 

誰もいない深夜の公園で
物思いにタバコをくゆらせていると、
「あたいにも1本おくれよ!」とせがむ声。

 

ふりかえった先にいたのは、
人間の言葉をしゃべるエゾリスだった――。

 

 

 

前2篇が対になっていて、
大黒さん主人公のこちらは次のおはなしと対です。
神様もバトンタッチしまして今度はエゾリスです。

 

「人間ってのは
馬鹿を見たって正直な方がいい。
自分に嘘をつくんじゃないよ。
心が曇っちまってますます周りが見えなくなる」

 

恋は得てして
まぶしくドラマチックに描かれるものですが、
はたして「好き」という感情はそれほど美しいものでしょうか。

 

私は違うと思うんです。
一方的で自分本位で格好悪くて意地も悪くて、
本来もっと粗野な感情じゃないかと思うんです。

 

相手を想いやるのは恋ですが、
自分を押しつけてしまうのが愛です。
「恋愛」とはその「恋」と「愛」がごちゃまぜなんです。

 

 

 

 

投球の神様:

 

仕事帰りに通っているボウリング場で出会ったのは、
「カミサマ」の名で1人ボウリングにいそしむ女の子。

 

些細な会話をきっかけに
絵麻は彼女にボウリングを教えるようになるが、
彼女が上達するにつれ絵麻は妹のことを話すように。

 

妹の幸せを祝福できず、
恋人のプロポーズも断ってしまった絵麻の本心とは。

 

 

 

先ほど
チャラシみたいな人が身近にいる、と書きましたが、
私みたいな人もここにいました。私かと思いました。

 

大黒さんのおはなしでも思いましたが、
人と人との結びつきに正解もクソもないし
他人がそれを言及する道理ももちろんない。

 

相手を想って自分を抑えつけることは、
自分を想ってくれる相手をないがしろにすることでもあるんですね。

 

 

 

神様の言うとおり


 

 

悩んでいる人に対して
ただ〈話を聞く〉というのはシンプルなようで、
じつはとても核心をついた接し方だと思います。

 

ある時期、
かなり気が滅入っていたことがあったんですけど、
私はそういうときノートにありのままの心の声を
とにかく思いつくだけ延々書きなぐっていました。

 

そうすると不思議なことに、
実際にはなにも解決していないんですが、
なんだか気持ちがふっと軽くなるんです。

 

この“ガス抜き”というのがとても大事で、
誰かが話を聞くというのもその手段の1つ。

 

心の窓を開けて
通気性をよくすることが目的なので、
理解したり共感したりするのでなく
耳を傾けてうなづいてあげるだけで
本人は結構救われているんですよね。

 

だから、
みなさんも身近に悩んでいる人がいたら
どうかそっとよりそってあげてください。

 

それでも自分を無力に感じたら、
そのときはぜひこの本を読んでみてください。

 

ただそこにいることは、
決して無意味じゃない、と神様たちが教えてくれますよ。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。