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ニール・シャスタマン『僕には世界がふたつある』(金原瑞人 , 西田佳子 訳)を読了。一度書店で見かけたとき、幻想的な表紙に惹かれたものの、自分には抱えきれない作品なんじゃないか、相当な覚悟がなければ読めないんじゃないか、と不安になって買わずに帰ってしまったんだけど、たまたま趣味でアルビレオのサイトを見ていたとき作品群の中に本著表紙があったのをきっかけに読むことを決めました。結果、とんだ大作に出会ってしまった。やはりアルビレオの表紙は信じられる。好き。

 

 

なんだかすごいものを読んでいる

僕はケイダン15歳。毎日が怖い。学校で誰かが僕を殺そうとしているのに、両親や友達は、変な目で僕を見る。一方で、僕は海賊船にも乗っていて、船長やオウムと、世界一深い海を目指している。僕はいったい、誰を信じればいい?いつしか現実と夢は混ざりはじめ……精神疾患の予測不能な海を航行する、少年の闘病と成長の物語。

 

――カバーより

マーク・ハッドン『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(小尾芙佐 訳)を彷彿とさせるような、静かで、澄んだ印象を受ける作品。〈精神疾患〉という繊細なテーマを主題にしながらも、過度に鬱々とさせず、また重々しい空気にさせず、幻想的で不思議な世界観の中、たしかな希望と成長を垣間見せながら、最後まで一秒たりとも飽きさせずに読ませてくれます。

 

現実と妄想が、はじめのうちは交互に描かれ、やがては混ざりあっていく――そんな特殊で複雑な構成をものともしない読みやすさで、作者はもちろん訳者も本著を丁寧に書きあげたんだな、というのがひしひしと伝わってくるいい文章でした。脳内に鮮明な映像が浮かんで音まで聞こえてくるほどの没入感。なんだかすごいものを読んでいる、っていう感じがつねにしました。

 

妄想世界のオブジェクトはなんの暗喩なのか、真実はどこにあるのか、自分は一体なにを読んでいるのだろうか…終盤まで本当にわからないんですよ。まったくわからない。だけど不満や不快感はなく、まるで、身体が深海へとコポコポ沈んでいくような感覚が心地よくて。いやぁ、不思議な作品です。

 

 

青のグラデーション

ケイダンの成長を見守りながら心底思ったのは、人との関わりが、そこから生じる経験が、心の傷や病においてはどんな薬にも勝るということ。

 

もちろん、物理的な意味で医師の存在や薬は症状を改善させる有効な手段だけど、人間は100%すべて科学ではできてない。別の人間の心からしかアプローチできない部分が、誰の心のどこにでも、少なからずある。他人はこわいけれど、人間は、1人では生きれないんだよなぁ。うーん人見知りの身にはなかなか刺さる!

 

今はただひたすらに苦味しか感じられない出会いと経験かもしれないけど、いつかきっと、これが彼にとっての良薬になりますように。

 

まるで海の青のように、世界はとてもきめ細かなグラデーションでできていて、真実や定義など誰にも見極められやしない。それは人をときにどうしようもなく不安にさせるけれど、正解がないこと、私はそれは希望なんだと信じたい。ケイダンの長い航海の果てを見届け最後の1行にたどりついたとき、強く、強くそう思いました。

 

 

 

言葉の時間はもうおしまい

思いを言葉にすることができない。また、僕の感情が勝手な言語でしゃべりはじめた。けど、それはそれでいい。言葉の時間はもうおしまい。

(P292/L2~3より抜粋)

 

本著を形容するにふさわしい言葉ってたぶんこれだと思う。これだけ。言葉の時間はもうおしまい。脳裏に鮮明に映像が残っているのに、言葉が、出てこないんですよ。

 

私からはもう「読んでほしい」この一言に尽きます。あとはあなたの感情と感覚が説明してくれる。だから私のように、表紙を見て、あらすじを読んで、それでビビッときた人にはぜひ思いきってチャレンジしてみてほしいです。ほら原題も「CHALLENGER DEEP」だし(?)。

 

言葉の海の底の底で、待ってます。

 

 

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。