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イアン・マキューアン『憂鬱な10か月』(松村潔・訳)を読みました。主人公がまさかの〇〇という前代未聞の設定に惹かれて手にとらざるをえなかった。古典文学風の趣があり非現実的な物語のように見えるのですが、その一方で人間の本質や本能については嫌になるほどリアルで考えさせられる。万人には決して勧められないクセがありますが設定のユニークさだけに依存しないしっかりした読みごたえのある1冊です。

 

 

 

吾輩は〇〇である

誕生の日を待ちながら、母親のお腹のなかにいる「わたし」。その耳に届く、愛の囁き、ラジオの音、そして犯罪の気配――。胎内から窺い知る、まだ見ぬ外の世界。美しい母、詩を愛する父、父の強欲な弟が繰り広げる、まったく新しい『ハムレット』。サスペンスと鋭い洞察、苦い笑いに満ちた、英国の名匠による極上の最新作。

 

※出典:http://www.shinchosha.co.jp/book/590147/

主人公はなんとびっくり胎児です。

 

胎児です。

 

 

文体は硬めでクラシカルな一人称。冒頭から胎児が我々読者にむかって「というわけで、わたしはここにいる、逆さまになって、ある女のなかにいる」なんて語りだすわけ。受精卵のときの記憶からばっちりあるの。え、なにそれは。

 

一見突飛な設定ですが、彼の驚異的な知識はすべて母親が流しているラジオを通じて得たもの。ワインを好みその造詣が深いのは日頃から胎盤を経由して母とそれをわけあっているから。――ふうむ。蓋を開けてみればなるほど無茶な空想ではないかもと思ってしまう理屈があって、黙りこんでしまう。

 

不貞をはたらく母を憎みながらも愛さずにはいられないもどかしさ。母を奪った浅はかな男(叔父)に対する軽蔑や嘲笑。彼女らによって狡猾に追いだされた父を密かに想いつづける健気さ。3人の愛憎によって形づくられていく主人公の憂うべき未来。生きるべきか死ぬべきか。

 

わたしはお馴染みの排除のさむけが湧き上がるのを抑えつけなければならなかった。

 

(P186/L4より引用)

 

誰が見てもたしかに生きているはずなのに、かくも物語から存在を排除される孤独な胎児。人はどこから生きることをはじめるのだろう。人にはなぜ哀しみや他人の悪意によってもたらされる異質な死があるのだろう

 

現実離れした設定のむこうに、そうした人間の本質や本能、とてもリアルなテーマを考えずにはいられません。

 

 

 

生きるべきか死ぬべきか

有名な思考実験のひとつに「哲学的ゾンビ」というものがあります。外見上は人間とまったく同じだが意識を持たない--まるでAIのように身体からの純粋な信号のみを理由にして動いているとされる架空の存在です。哲学的ゾンビは「なぜ自分以外の人間にも同じように心があるといえるのか?」という問いかけを孕んでいます。

 

この思考実験は私たち一人ひとりが〈個〉であるということを強く意識させます。私たちは人間が勝手につくった「人間」という便宜上の枠組みが共通しているだけで、万人に自分の価値観が通用するとはかぎらない。それはもちろん母子の関係にもいえること。子供が枠組みどおりの「子供」であるとはかぎらない。本書はたびたびこうした哲学ゾンビやあるいはクオリアを彷彿とさせるシーンがありました。あくまで個人的な感想ですけどね!

 

ところで、余談ですが原題「Nutshell」は直訳すると「木の実の殻」。冒頭に引用されるシェイクスピア『ハムレット』の一節「たとえ胡桃の殻に閉じこめられていても、わたしは自分を無限の空間の王者だと見なすことができるだろう」に由来するものと思われますが、私はクルミと聞くと昔どこかでクルミは人間の脳みそに似ていると聞いたのを思いだします。

 

わたしはこれまで何度も方向転換したり、意見を変えたり、誤った解釈をしたり、洞察を欠いたり、自己破壊を試みたり、受動性を悲しんだりしてきたが、ついに決心したのである。もうたくさんだ。

 

(P207/L19~P208/L2より引用)

 

もちろん『ハムレット』はモチーフにしつつ、「Nutshell」とは母の中でねむる胎児の暗喩であり、思考の殻を破って行動する――心と身体どちらか一方だけでは成り立たない人間そのものを暗喩しているようにも見えるのです。まぁ、ちょっと無理やりかもしれないけれど。

 

生きるべきか死ぬべきか。皮肉にもそれは生きつづけるか死んでしまうか、意思や憶測ばかりの思考を破って行動してみなければ答えがわからない(あるいはわかるかもわからない)難題です。2人の男を愛した母、彼女を想いつづける父、強欲で狡猾な彼の弟、孤独な悩める胎児。4人の哀れな人間たちはこの途方もない難題を前にいったいどのような結末をたどるのでしょう。さぁ、気になったらぜひ読んでみてください。

 

 

 

憂鬱などありませんように

胎児が主人公という設定が気になりすぎてほとんど出オチで手にとった1冊でしたが、堅苦しく難解な部分もありつつ、意外と悪くなかったです。宣伝文句には「胎児版ハムレット」などやたら『ハムレット』を推してくる文言がならびますが、『ハムレット』未読の私でも苦もなく楽しめたので、このクラシカルな文体とただただ哀れな愛憎の悲喜劇さえ許容できれば『ハムレット』やシェイクスピアに関係なく楽しめるのではないでしょうか。

 

私事ですが、今年の夏に兄夫婦に子供が生まれると聞いているので「胎児」というワードも今までより身近に感じられてタイミングもよかった。もしかして胎児にもこれくらい明確な意思や思考能力があるのかもしれない…?と考えをめぐらせるのは神秘的でちょっとこわくもあり、わくわくしました。

 

先日、山白朝子『私の頭が正常であったなら』に収録されている「子どもを沈める」を読んだときにも痛感しましたが、親も子供も自分の意思で完璧な相手を選ぶことはできません。だからこそ、そのつながりがどれも良縁で幸福なものであってほしいと願わずにはいられません。きれいごとだとわかっているけれど、ね。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。