澤村伊智『怖ガラセ屋サン』を読みました。リアリズム、詐欺、イジメ、怪談ビジネス、芸能界、大病……さまざまな境遇におかれすっかり恐怖を軽んじるようになってしまった人々にとっておきの恐怖を突きつける〈怖ガラセ屋サン〉にまつわる連作短編集。ホラー小説を読んで窒息しかけた過去があるのに澤村産ホラーだけなぜか着々と新刊を追っている私も、まぁ、ホラーっちゃホラー。

 


 

大人になって「ピュアな感性とか無くしちゃったみたい」「人間が一番怖い」「幽霊なんか全然怖くない」などとのたまう夫婦、自分はヒーラーだと信じる女性と彼女の元に通う人々を利用した詐欺ビジネスで儲ける男、かつての友人をいじめている小学生、三者三様の怪談で飯を食っている男たち、とある俳優のゴシップを追いながら仕事がなくなることに想いを馳せていく記者、同室の男の元に通う女性に不気味さを感じている入院患者、「恐怖なんて下らない」「怖い話なんてもっと下らない」と信じて疑わないはずなのにどういうわけか〈怖ガラセ屋サン〉なるものを調べている女性……印象に残ったのは第3話「子供の世界で」第4話「怪談ライブにて」第6話「見知らぬ人の」です。それぞれ因果応報がとくに際だった話だと思うけど、6話はその因果まであれこれ想像できておもしろかった。

 

個人的に、怖ガラセ屋サンのおもしろいところは存在自体は超自然的なのに怖がらせる方法が現実的で、だからどちらに属しているのかわからないところかなと思いました。超自然とリアリズムの融合。本書を購入したとき帯に「ホラー小説は進化する」みたいなことが書いてあったんですが、なるほどそういうことかと。

 


 

恐怖とはなにか、みたいな話は第5話「恐怖とは」でも議論されるのですが、自分は第3話「子供の世界で」を読んで、うしろめたさからくるのかなぁなんて思いました。

 

小松和彦編著『妖怪学の基礎知識』によると、なんと、幽霊って妖怪の一種なんですよね。

 

幽霊は妖怪の仲間、下位概念である。その関係は、動物と人間の関係性にたとえることができるだろう。人間は動物であるにもかかわらず、しばしば文化をもった動物として他の動物から区別され、特別扱いされる。同様にして、幽霊は妖怪に含められるのだが、幽霊は人間の魂魄の特殊な発現の形態であり、かつ多数の幽霊譚が語られてきたということによって、特別扱いされてきたのである。

 

小松和彦編著『妖怪学の基礎知識』より

 

妖怪の起源を調べていくと、たとえばやまびこなど、当時まだ理屈で説明できなかった現象をとりあえず一旦超自然的なもののせいにして、暫定的に怖がるための存在だったのだなとわかってきました。

 

「(前略)『そうなるかもしれない』という予想は、『そうはならないで欲しい』という願望とセットでなければ恐怖には至らないんです。作り話でも。現実でも」

 

(P12~14より引用)

 

そうした妖怪が時代を経て、理屈で説明できる事象がどんどん増えていって次第に娯楽になっていったのに対して唯一幽霊だけが今なお恐怖の対象として生き残っているのは、ひとえに対人関係におけるいろんなうしろめたさ、そこから推測できる怨念みたいな人間の負の感情にはある程度の集合意識、というか共通認識があって、万人が理解や共感、からの想像をしやすいからなんだろうなと。

 


 

第4話「怪談ライブにて」は、怪談ライブの話というだけあってデイヴィッド・マクレイニー『思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方』に出てくる「作話」の話を彷彿とさせました。

 

自分の行為のほぼすべてについて、それを説明するために空想物語を創りあげ、それを信じてしまうという傾向はだれにでもある。人は生まれつき作話症なのだ。自分の行動の動機や、さまざまな因果関係をつねに自分に説明し、答えがわからないときには、知らず知らずのうちに答えをでっちあげている。

 

デイヴィッド・マクレイニー『思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方』(安原和見・訳)より

 

もちろん、作中で「第一の男」「第二の男」「第三の男」「第四の男」がこしらえたのは保身としての意図的な作話ですが、こういう「作話」が、今なお怪談が生まれ語り継がれているゆえんなんだろうなと。

 


 

当ブログの澤村伊智といえば考察みたいなところがあるので、最後に「怖ガラセ屋サン」という表記について考察を。

 

第7話「怖ガラセ屋サンと」を読むと、過去怖ガラセ屋サンに依頼した人たちの一部は言語に違和感がみられます。怖ガラセ屋サンの憑依、あるいは感染的なことが起きているのでしょうか。だとしたらほぼ同時期、また極端に時期が開いても広域に存在できる理屈も一応通るし、第5話「恐怖とは」で彼女が言った「怖いという感情が伝染する」という表現を伏線ともとることできます。

 

ただ、そうなってくると問題はなぜ見た目が黒で統一された髪や服装の若い女性なのかという点ですが、たまたま今回収録されているケースの担当が彼女だっただけなのか。あるいは第2話「恐怖と救済と」には「声を聞いていなければ性別がわからなかったかもしれません」=声に女性らしささえあれば男性でもありえるとあるので、憑依で説明できるのか。このあたりも超自然と現実のあわいを感じられて興味深いですね。

 

今回は感想に甘んじてしまいましたが、次回再読するときにはきちんとメモをとりながら精読してこのあたりも考察したいです。

 

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佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。