rosary photo

 

 

 

去年の10月末、
知人の右眼が真っ赤になるというとんでもない現場に遭遇しました。

 

当時知人はしょっちゅうものもらいになっていたので
おそらく原因はものもらいだったのだと思うのですが、
いやはや当の本人は痛みはないと言っていましたけれど
見ている側の精神的ダメージはそれは大きいものでした。
だって本来は白くあるべきところが真っ赤なんですもん。

 

邪気眼なるものが本当に実在するとしたら、
傍目から見るとあんなふうなんだなと思うと
中二病の私でもリアル邪気眼はちょっとご勘弁願いたいです。

 

過去にそんなものを目撃したことのある私なので、
実際に“血の涙”や聖痕なんてのを見せられたら
奇跡云々よりまず「痛い!(断言)」と発狂しそう。
知念実希人さんの『天久鷹央の推理カルテⅤ 神秘のセラピスト』読了です。

 

追記:

記事を読んだ知人から「一昨年の話ではないか」と指摘を受けました。
一生懸命思いだしてみたらたしかに去年は白眼でした。知人ごめん。

 

 

 

医療は患者と家族を“心”まで救うことができるか


 

 

白血病が再発し、
骨髄移植でしか助かる見込みがない少女・羽村里奈。

 

だが、
複数回に及ぶ化学療法を経ても
病気が完治しなかったことで医療不信に陥った彼女の母親は、
移植を拒否し、左手に聖痕を持つ預言者の言葉に縋るようになってしまう……。

 

少女を救えるのは、医療か、奇蹟か。

 

神秘的な現象を引き起こす”病気”の正体とは。
天医会総合病院の天才女医・天久鷹央が奇蹟の解明に挑む。

 

※あらすじは新潮文庫nexによる特集ページより引用しました。
※プロローグ(全5ページ)を立ち読みすることができます。
http://shinchobunko-nex.jp/special/180027.html

 

***

 

膨大な知識と並外れた記憶力でどんな不可解な病気も暴いてみせる
天才医師(※ただし人の感情と空気はまったく読めない)天久鷹央が
彼女の元で診断学を学ぶ〈小鳥〉こと小鳥遊優や病院の面々と共に
奇妙な事件の裏にある病を推理するシリーズ通算7作目となる連作短篇集。

 

 

 

さすがに今作から読むという人はいないと思いますが、
今回は過去作の事件や関係者がちょこちょこ登場するので
結構なブランクがあるようでしたら今一度シリーズ全体を
ざっくりふりかえっておくとより楽しめるのではないでしょうか。

 

Mugitterにはひととおりの感想記事がUPしてありますので、
復習しておきたい方は以下の関連作品のリンクもぜひ(宣伝)。

 

第2話冒頭で語られた『透明人間による密室殺人』の謎はこちら
第3話で触れられていた『病室の天使事件』についてはこちらを。
また同話に登場する佐山香織と『恋人の呪い事件』についてはこちらをどうぞ。

 

 

 

時として不可解な異常が身体を襲う病、
敵は“気”で女性たちを若返らせる鍼灸師に
聖痕と“血の涙”を浮かべてみせる預言者、と。
なるほど「神秘のセラピスト」というサブタイトルは巧いなと思いました。

 

となると第1話は若干毛色の異なる短編だったとは思うのですが、
これはこれで腐ったミカン=若者たちが多く集まる場所、空気が汚い、
といった都会のイメージを上手く利用した設定でおもしろかったです。

 

以下、各話の感想をまとめました。

 

 

 

腐敗、若返り、奇蹟――神秘の裏に隠された病を暴け!


 

 

Karte.01 雑踏の腐敗:

 

腐っている。
この人混みが俺の体を腐らせている。

 

夢を抱いて上京してきた宮城辰馬は、
雑踏の真ん中で突如自分の指が“腐敗”しているのに気づく。

 

以来、
「人が多い場所へ行くと体が腐りはじめる」と
人混みを怯えひきこもるようになってしまったというが――。

 

***

 

前章で都会のイメージを利用した設定について触れましたが、
オチのつけかたも巧くて前哨戦としてテンポよく読めました。

 

鷹央の「あんな革ジャンじゃなくて」(P59/L14)
という発言を聞くかぎり辰馬君は普段カッコつけで
多少我慢してでも革ジャンを着ているんでしょうか。

 

曲名を失念してしまいましたがYUIさんの曲に
「パンクロックが好きなあいつは いつでも革ジャンを着てる」
という歌詞があったのを思いだしました、革ジャン=ロックなのですね。

 

たまに「おしゃれは我慢」なんて言葉を聞きますけど、
そのたびに中学時代のとある先生のことを思いだします。
女子がみんなダサいからって長ズボンのジャージを嫌がって
なんと真冬でも(!)ハーフパンツを履いているのを見兼ねて
「女の子は下半身を冷やさないように」とよく注意していたっけ。

 

今になって先生が言っていたことがよくわかります。

 

機能性ってやっぱり大事ですよ。
冷え性になってからというもの冬でもニーハイの女の子とか見ると
「太ももの気持ち考えろよ!」ってついカイロ貼りたくなりますよね。
20歳を超えると今までの常識が自分の身体に通用しなくなってくるの本当にこわい。

 

 

 

Karte.02 永遠に美しく:

 

統括診断部に奇妙な「若返り」の相談がきた。

 

相談者の美奈子曰く、
母である松子はたった数ヶ月でみるみる若返ったようだ。
若返りの背景には胡散臭い鍼灸師・神尾秋源が絡んでいるらしい。

 

松子は秋源による“気”を用いた〈特別な治療〉で若返ったというが、
はたして本当に“気”の力で人を若返らせることなどできるのか――。

 

***

 

歳の重ねかたについては三者三様の意見があると思いますが、
私は成人してから化粧や身なりに気を配るようになったので、
昔よりも今のほうが圧倒的に楽しくて結構気楽に構えています。

 

年齢や経過によって体質とか諸々の変化があって、
それに合わせてベストな服や化粧品を選ぶのって
変な言いかたですがカスタマイズというか追究のしがいがあるというか。
もともと分析したり考察するのか好きなのでこういうのちょっと楽しい。

 

ジュリアン・バジーニさんの『100の思考実験』という本の
ある思考実験の解説で彼はこのように語っています。

 

芸術家の多くが、
作品を生みだす時点で、それがどう古びていくかを考慮に入れている。

(ジュリアン・バジーニ著『100の思考実験』P48/L6より引用)

 

芸術作品が時代を経て劣化していくこともまた
芸術の本質として捉えるべきかもしれない、という話です。
これは人間の美にも同じことが言えるのではないでしょうか。

 

若さというものは
「失われる」という前提条件が価値を高めているだけだと思うのです。
人間には、そのときそのときの美しさがあって、それでいいのではないですか?

 

 

 

Karte.03 聖者の刻印:

 

田無保谷カトリック教会に訪れた、ある1人の男。

 

「声が聞こえる」。
彼はそう言って神父に“血の涙”と聖痕を見せた。
彼はたちまち〈預言者〉として信仰者を増やしていく。

 

白血病の少女・羽村里奈の母もまた、
「骨髄移植を受けなくても、娘は完治する」という
彼の〈神のお告げ〉を信じて移植を拒否しているという。

 

彼女を説得し里奈の命を救うため、
鷹央は〈預言者〉のトリックを暴こうとするのだが――。

 

***

 

信仰はたしかに、
非科学的で抽象的で隙が多いかもしれません。
だけど、誰でも、いつでも、どこでも、なんのためにでも祈ることができる。
その根源には本来もっとも人間的でピュアな感情があるものだともいえます。

 

倫理や哲学の本を読んでいると、
信仰もまた1つの手段であってプラシーボ効果だろうがなんだろうが
救われる人は(本人の気持ち的な意味で)本当に救われているんだって、
他のいろんなものと同じで向き不向きがあるだけなんだって思うんです。
「信じろ」「信じるな」って強要するものではなくて、とても、難しい領域の問題です。

 

「神に祈るのは悪いことじゃない。
けれど、娘のそばでも祈ることはできるはずだ」

(P302/L9~10より引用)

 

なんて優しい言葉なんだろう、と、読んでいて思わず泣いてしまいました。

 

なにに祈るか、と、なんのために祈るか。
これを見失ったり履き違えたりしてはいけない。

 

「果報は寝て待て」ということわざがありますよね。
あれも、寝ていれば果報が訪れる、という意味ではもちろんなくて。
やるべきことをすべてやったらあとは寝て待つしかないという意味。
どんな神様にも言えることですが「祈れば良し」ではありませんよね。

 

 

 

私/僕1人の問題ではない“盲信”という病


 

 

環境、老い、そして死。
今回扱われている病気やその背景には
人間なら誰しも抗えない生命活動の本質的な部分が関わっていて、
簡単に「他人事」とは片づけられない危険をはらんだ3篇でした。

 

その一方で、
彼らをとりまく医師でも患者でもない
第三の立場――家族もまた、重要なテーマだったのではないでしょうか。

 

あなた1人の身体じゃないんだから、
という言葉はきれいごとのようにも聞こえますが、
患者とその家族とを俯瞰して見ている医療の現場からすると、
たとえ陳腐であってもとても大切な言葉なのかもしれません。

 

 

 

どんなに健康な人でも唯一、
本作に登場する病の中で気をつけなければならないのは“妄信”です。

 

生きるうえで
いつかは受け入れなければならないこと、
というのは誰にでも1つや2つあります。

 

それに理由をつけて見ないふりをしていると、
やがて彼らのように安易な逃げ道にすがって、
そのうち身動きがとれなくなってしまいます。

 

自然の摂理に反することはとても魅力的に見えますが、
見えないところに同じだけの危険が潜んでいることを忘れてはいけません。

 

 

 

バカ正直に真正面から立ちむかって苦しめ、と言いたいわけではなく。

 

片隅においやっても、
ときどき目をふさいでしまってもいいから。

 

ただ、見失わないことが大切なのだと、肝に銘じておきたいのです。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。