門田充宏『風牙』を読みました。書店で小説を物色してまわっているとき、たまたまある1冊の小説を手にとって、その中にはさまっていた新刊案内の広告から興味をもって書店何件かまわってようやく探しだして購入した、という、ちょっと変わった出会いかたをした小説です。深夜のファミレスであまりの衝撃に呼吸することを忘れ、言葉を失い、しこたま号泣することになるとは、このとき、私はまだ知る由もなかった――。

 

 

 

 

再読することで物語は完成する

記憶翻訳者(インタープリタ)とは、依頼人の心から抽出した記憶データに潜行し、他者に理解可能な映像として再構築する技能者である。珊瑚(さんご)はトップ・インタープリタとして期待され、さまざまな背景を持つ依頼人の記憶翻訳を手がけていた。しかし彼女にとって人の記憶と深く関わることは、自分自身のなかにある埋められない欠落と向き合うことでもあった――第5回創元SF短編賞を受賞した表題作にはじまる連作短編集。

 

※出典:http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488018290

①値段(定価2000円)、②約350ページの四六判、③主人公・珊瑚を通して描かれるHSP(ハイ・センシティブ・パーソナリティ)の実態。ダブルミーニングならぬトリプルミーニング。財布的にも、重量的にも、内容的にも非常に「重い」1冊となっております。

 

ハイリー・センシティブ・パーソン(英: Highly sensitive person, HSP)とは、生得的な特性として、高度な感覚処理感受性(あるいは、カール・ユングの造語で言えば生得的感受性)を持つ人のこと。共通して見られる特徴として、大きな音、眩しい光・蛍光灯、強い匂いのような刺激に対して敏感であることが挙げられる。HSPはしばしば、豊かで複雑な内的生活を送っているという自覚をもっている。物事に対して容易に驚き、短い時間にたくさんのことを成し遂げるよう要求されると混乱するという性質を持つ。

 

――Wikipedia「ハイリー・センシティブ・パーソン」より

 

HSPのことはもともと知っていました。中高生の頃は制服を着るとYシャツを第1ボタンまでとめると首を絞められているような気がして何度もえづいてしまうので先生に相談して校則を免除してもらったり、今でも、ぴったりしたタートルネックを着ると同じことが起こるので、なんだろうなぁ、と調べたときに知ったことのひとつです。私が該当するのかはともかく、先天的に五感、そして人の気持ちに敏感ゆえに生きづらさを感じ、悩んでいる方々がいるのですね。

 

そんな事情を持つ少女・珊瑚を主人公に、「風牙」「閉鎖回廊」ではインタープリタである珊瑚の視点から記憶が人にもたらす作用についてを描き、「みなもとに還る」「虚ろの座」は〈珊瑚〉というキャラクターをより深掘りしていく内容になっています。個人的には前者のテイストが好きだけど、後者も含めて、全編読んでさらに再読することでようやく物語は本当の意味で完結するのだろうなと、構成の意図を考えると思うので、たとえ途中ダレてもなんとかがんばって読んでほしい。

 

読めば読むほど、考えれば考えるほど、活字で構成された景色がより鮮明になり感覚すら感じる――それはまさしく本書で珊瑚が行っている記憶翻訳のプロセスのようで、噛めば噛むほど味が出る、そんなスルメな作品です。また読みたい。

 

 

 

記憶よ、風となり牙となれ

風牙

依頼人から抽出した記憶データに潜り、他者にも理解可能な第三者目線の映像として“翻訳”する技術者・珊瑚は、現在、恩人である社長・不二が囚われている彼の記憶の中に潜入している。どうやらそこには自律行動が可能な〈なにか〉が存在しており、現実世界では、通常半日程度で終わるはずの記憶のレコーディングは5日が経った今も未だにつづいているという異常な事態が起こっており――。

SFを普段あまり読まないもので、4章までの導入が相当難しかったけど、「社長」は何者なんだとか、主人公の珊瑚がどういう立場にいるコなのかとか、そもそもこの小説の設定とか世界観はどうなっているんだとか、正直そんなことはあとでゆっくり考えればいいんだよ。

 

「意味は違うぞ。風牙はおまえの傍にいるだけで、助けてくれたりはしない。だが、こいつが与えてくれる信頼は、おまえの背を押す風になり、おまえの牙になる」

 

(P47/L7〜8より引用)

 

社長と風牙の間にあるものと、そして、イケメンの爺ちゃんに酔いしれる。それだけでこの物語を読む価値はある。なんかよくわかんないけど泣ける。むっちゃグッド。ドッグだけどグッド。そういうおはなし。私は世界に対していつもあることないこと想像して勝手に感情が爆発する人なので社長のように興味がないとか共感ができないとかはあんまり経験ないなぁ。それははたしてどちらが楽なんだろう。あるいはどちらも苦痛なのか。

 

人の命はなんのためにあるのか。人の記憶はなんのためにあるのか。私の命や記憶が、いつか、誰かの背中を押せる風となり誰かを守れる牙になれるのだとしたら。たとえ命も記憶も燃えつきてしまっても、それは、なんて素敵なことだろうと。本を閉じて、目を閉じて、暗闇の中でそう思いました。

 

 

 

閉鎖回廊

珊瑚が九龍くーろんに入社し、記憶翻訳者インタープリアになるために猛勉強していたのと同じ時期に入社した、兄のような存在の由鶴。珊瑚とは異なる製作者クリエイタの道へ進んだ由鶴だったが、あるとき、珊瑚の元に彼から擬似人格モジュールのデータが添付されたメッセージが送られてきた。「〈閉鎖回廊〉を今すぐ止めて」。それは由鶴がつくったものにして、現在、九龍の擬似都市の中で一番の人気を誇るコンテンツの名だが――。

お待たせしました。私が深夜のファミレスであまりの衝撃に呼吸することを忘れ、言葉を失い、しこたま号泣したおはなしがこちらです。

 

終盤に綴られたあらゆる事実がもう、あまりに衝撃的で、受けとめきれなくて、息がね、息が上手にできなくて。すべての人間が等しく永久に幸福であることなんて無理だ。わかってる。それでも、そうあってほしいと願ってしまう。悔しいよ。由鶴の心境を考えたら苦しい。

 

いつでも、誰にでも起きうることだ。

 

(P162/L2より引用)

 

たったこの一文の、悲しさ、苦しさ、悔しさ、おそろしさ。物語を反芻しながら歩く帰り道で身体がぶるぶる震えていたのはきっと寒さのせいだけじゃなかった。小説を読んで泣くことはよくあるけれどあまりの衝撃に息ができなくなったなんて今まであったかな。はじめてだったかも。衝撃的なおはなしでした。

 

だけど、読んでよかったな、とも思うんです。珊瑚を介して”擬似体験”しなければ一生むきあうことのなかった事実と感情かもしれないし。上記引用の「誰にでも」という言葉に内包されているのは決して「自分自身」だけじゃない。きっと必要な体験だった。この衝撃も、恐怖も、悲しみも、苦しさも。

 

今までに味わったことのない感情が押し寄せるおはなしだと思います。心して読め。

 

 

 

みなもとに還る

単純なレビュー業務だと思ってひとりとある擬似都市のコンテンツに潜っていた珊瑚。ところが、このコンテンツは針か管のような尖塔がそびえるだけで、音もなく、異様だ。のちにあらわれた子ども・マヒロによって導かれた珊瑚がそこで出会ったのはなんと自分の母親だった……?「会いたい」と言った彼女の真意を確かめるため、珊瑚は現実世界で自分を待つという〈みなもと〉へ赴くことにしたが--。

あらすじを読んだときは「風牙」や「閉鎖回廊」のテイストでそのまま4編を綴るのだと思っていたのですが、このあたりから主人公・珊瑚のパーソナリティにフォーカスが当たるので、思っていたのと違うな、というのはありました。少しね。

 

最近は「テイルズ・オブ・ベルセリア」というゲームの2周目をやっているのですが、都や真尋の愚直に信じつづける姿は、このゲームのエレノアというキャラクターを彷彿とさせました。心が清らかであるということは、高貴な反面、とても儚く危なげであるとも彼女の物語を見ていると思うんですよね。

 

 

信念を曲げず、一途にひたむきに歩みつづけることは、並の人間にはなかなかできません。だけどそれは、己が心を盲目にしてでも信じるに値するものなのか。あるいはそれを他者がどうこうすることなどできるのか。人の心は難しい。

 

 

 

虚ろの座

菅埜かんのという男に元妻の居場所を調査するよう依頼していた瀧澤は、彼から元妻の居場所を聞くと、もう一度彼女に会うため、そして謝るために、彼女が入信したという宗教団体〈みなもと〉へ入信することに。今では「導きさま」と呼ばれている彼女は〈みなもと〉の本拠にいるという。娘と一緒に・・・・・。奇妙な生活を送りながら修養を積んだ瀧澤はいよいよ本拠で行われる〈みなもと還り〉の儀式に参加するよう通達されるが――。

最初、なんで「みなもとに還る」の物語を経てこんな展開になったし、と理解が追いつかないまま勝手にモヤモヤしていたんだけど、そうか、これはきっと……。どこに言及してもネタバレになってしまうので多くは語れませんが、解説で長谷敏司氏がおっしゃるとおり、この4編目を経ることでより前3編の主人公・珊瑚というキャラクターへの理解が深まり、それにより1編1編の物語も魅力が増すトリガーとなっています。

 

これよく考えられているなと思ったのは、1編目「風牙」が珊瑚の仕事風景--いわば今の日常で、2編目「閉鎖回廊」でフォーカスされるのは由鶴、すなわち入社直前あたりの記憶。そして3編目の「みなもとへ還る」では珊瑚がいかにしてこの職場に拾われたかというエピソードが語られ、この「虚ろの座」でようやく瀧澤の目を通して珊瑚の文字どおり”はじまり”から語られる。奇しくもそれはまるで彼女の原点をたどる、まさしく「みなもとへ還る」ような編成なわけです。

 

作者のあとがきに「思ってもいなかった病気で入院することになったとき、それまで漠然としか考えていなかった“残り時間”の存在を、初めて明確なものとして意識しました」とあり、本書がこうした編成になるのには納得しました。

 

 

 

あの激情を風にして 牙にして

1冊の小説、1枚の広告から偶然出会った作品でしたが、普段あまり読まないタイプの世界観や筆致と格闘しながらも充実した読書のひとときを過ごすことができました。感動、衝撃、静と動の悲しみ。いやぁ、1冊の小説でこんなに感情を大きく揺さぶられたことなんてここ最近久しくなかったから、読了した今、頭と心とにちょっと疲れを感じますね。もちろんいい疲労感だけど。なるほどこれが先の解説にあった「メンタルダイブもの」というやつなのか。

 

再読に必要な手札はすべてそろったことだし、気力が充分に戻ったら本書はまた一から読みなおしてみる予定です。今度は「虚ろの座」から逆に遡ってみてもおもしろいかな。1周目は「風牙」と「閉鎖回廊」がダントツで好きだったけど世界観や主人公をばっちり理解したうえでの「みなもとに還る」や「虚ろの座」はよりいっそう胸に迫るものがありそう。

 

珊瑚のような記憶翻訳者インタープリタがいない現実世界では、きっともう、どれだけ本書を再読してもあの日深夜のファミレスで感じた感情の濁流をそっくりそのまま味わうことは不可能でしょう。だからせめて、いつかは完全に消えてしまうあの日の記憶の上からくりかえし再読の記憶を塗り重ねながら、

 

忘れずに、先に進んでくれ。

 

(P59/L16より引用)

 

あの激情を風にして、牙にして、先へ進もう。

 

 

参考にしたサイト一覧

 

ハイリー・センシティブ・パーソン – Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3

 

テイルズ・オブ・ベルセリア│バンダイナムコエンターテインメント公式サイト

https://talesofberseria.tales-ch.jp/chara/eleanor.html

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。