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ドリアン助川『カラスのジョンソン』を読みました。最初タイトルを見て「カラスを題材にするの珍しいな」と手にとったあと作者名を二度見してしまった。ドリアン助川。表紙の世界観とあまりにもマッチしていなすぎてすごく気になる。初読の作者でしたが名前の印象を気持ちよくぶっこわしてくれる、私たち“生きもの”を克明に描いた詩的で美しいおはなしでした。

 

 

 

神の視点

小学生の陽一は、傷ついたカラスの幼鳥を「ジョンソン」と名付け、母と暮らす団地でこっそり飼い始める。次第に元気になっていくジョンソン。だが、「飼ってはならない鳥」はやがて、人間たちの過酷な仕打ちを受けることに――。少年の素朴な生命愛が胸を打つ現代の神話。

 

――文庫裏より

ハードカバー版は「明川哲也」の名義で講談社から刊行されていたようです。名前の変遷が気になりすぎたのでウィキペディアを見たら「威圧感を与えがちな自らの風貌を自虐的に捉え、ドリアン助川の名を使うようになる」と絶対めちゃくちゃいい人だっていうエピソードがあって萌え転げた。作者名二度見しちゃってごめん。正直表紙は講談社版のほうが好み。作者のブログによるとこちらもう絶版だそうだけど。

 

 

心象描写は多くなく、また抽象的で、詩のようなスマートで芸術的な文章。作者の経歴に「詩人」とあったこと、あらすじの最後が「神話」で締められていることなど、納得の文章でした。陽一、母の里律子、カラスのジョンソンのいずれにも深くまで感情移入することはなく、それこそ〈神の視点〉とでもいいましょうか、あくまで第三者(読者)として終始読めるのだけど、世界観にはとっぷり浸かれて、これが不思議な読み心地で。なかなかページから目を離すことができずサクサクあっというま。気づいたら読み終わっていた、という感じ。

 

カラスであるジョンソンに過度な設定や描写がないのはともかく、陽一と里律子が抱える家庭環境や秘めたる事情なども同じように、つまりはカラスと対等な目線で描かれるので、私たちは平等に命を有する生きものであるというあたりまえのことが実感できて、そこが優しくも厳しくて、好ましいです。私は誠実で美しい小説がたぶん一番好きなのですが、たとえば好きな作家のひとりである紅玉いづき氏の作品はそれが心象描写に濃く出ていて、本書はそれが風景描写に濃く出ているように感じます。まぁ語彙力を放棄して一言で言うと「至高」。

 

 

 

共存を願ってしまう痛み

「ジョンソンだって野生に戻らないと。人間と接した記憶なんかない方がいいわ」
「そうかなぁ」

 

(P81/L12~13より引用)

 

先日、買ったあと2年ぐらい放置していた『人喰いの大鷲トリコ』というゲームをようやくクリアしました。“人喰い”と恐れられる大鷲・トリコとともに洞窟で目覚めた少年――1人と1匹が協力しながら〈大鷲の巣〉と呼ばれる閉鎖された谷からの脱出を試みるゲームなんですけど、本書を読んでいるあいだちょうどこのゲームを並行して遊んでいて、この2作品、根本にあるテーマがすごく似ているような気がします。

 

 

ストーリーが進行していくうち、プレイヤーはトリコがなぜ“人喰い”とされているのか、この少年がなぜ〈大鷲の巣〉で目を覚ましたのか、そして本当のトリコの姿・本質が、抽象的ながらも少しずつわかってくるのですが、断片的に見えてくる物語の全体図とトリコのその異名に反する愛らしい仕草、少年とのもどかしい協力風景などをながめていると、なぜ種が異なるだけでわかりあうことは難しくなるのだろう、と心がチクチク痛みました。この静かでけれど慢性的な痛みは本書でも物語後半から訪れます。

 

人間は自分を守ってくれた。しかし、人間は自分を捕まえようともした。
人間に対して、近づきたい気持ちと逃げ出したい気持ちの両方が絡み合う。
ジョンソンは混乱しだした。

 

(P135/L13~15より引用)

 

かわいい、だけじゃ通用しないのはもちろんわかっている。種が異なれば先祖代々培ってきたものも違うわけで、共存することが彼らと私たち双方にとって必ずしも正解にはならないこともわかってる。自然とはつねに適切な距離が必要だってことはわかっている。「人間」という分母の大きさを考えればなにを言ってもエゴになってしまうのはわかっている。わかっている。わかっているけれど。

 

陽一・里律子とジョンソン。人間とカラス。最初は両者のあいだにくっきりと見えた境界線が、親子をとりまく環境を知り、カラスの世界を知り、物語を読み進めるごとに薄くなって見えなくなっていく。親は子を守り、子は親の想いを知って大人になり、なにかを得ればなにかを失って、怒り、喜び、食べて、寝て、漠然とある死を見据えながら生きていく。――私たちのどこに境界線などあったのだろう。本を閉じる頃には、チクチク痛む胸を抑えて、考えている。

 

陽一がジョンソンに教えた・・・ある言葉が最後に意外な形でふたたび陽一の元に返ってきたとき、それは強烈な光と意味を含んでいて、ここのあたり電車で読んでいたんですけど、我慢できなくて涙がこみあげました。こぼれないようにとグッと目をつむったとき思いだしたのは、今年の春、自宅の玄関先につばめが巣をつくって卵を産み、子を育て、飛び立っていったこと。小さな命がひとつ、彼らとともに空を飛ぶことが叶わなかったこと。玄関先に今も残っている巣を見上げるたび、私たちは困ったときには種を越えて助けあえる可能性があるのだと、そんなきれいごとを、愚かにも、信じたくなってしまいます。

 

 

 

多くの人に読まれてほしい

初読の作家だったのでどんなものかなと不安もありましたが、本を閉じるときには思わず本をギュッと握りしめてしまうような切なさ・苦しさが胸にひろがる大切な1冊になりました。ジョンソンの名前の由来だったり担任の先生のキャラクターだったり、素朴さや親しみやすさもある作品なので、時期的に夏休みの読書感想文にもよさそう。

 

クライマックスの風景はどこか宮沢賢治「よだかの星」を彷彿とさせます。このあたりも個人的にはグッときたポイント。それまであまり多くは語られてこなかったジョンソンの〈心〉が素直な言葉で一気に放出されてとても胸に迫るので、ぜひ、窓を開けて外のにおいを肺いっぱいに吸いながら読んでみてほしいです。夏か冬の夜が似合うと思う。

 

多くの人に読まれてほしい、と切に願っています。

 

 

参考:

 

明川哲也 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%B7%9D%E5%93%B2%E4%B9%9F

 

カラスのジョンソン 再びの飛行 – ドリアン助川 道化師の歌
http://durian-sukegawa.com/blog-entry-295.html

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。