【悲報】2020年上半期もやっぱり確実に好きだけど具体的にどこが好きなのか言葉にできなかった小説が生まれてしまった件

 

1:佐々木麦 2020/12/25(金)12:34:56:789 ID:sasakimugi

あなたに会えて本当によかった。

例年どおり小田和正「言葉にできない」を脳内再生しながら、よろしくおねがいします。

 


1.森谷明子『南風吹く』

 

名前どっかで聞いたことあるな、もしかして『れんげ野原のまんなかで』の人か?と思ったら、そうでした。2011年刊行ってマジ?自分の記憶力がこわい。

 

9年前に『れんげ野原のまんなかで』を読んだときは自分もまだ若かったのであまりピンとこなかったのですが、『南風吹く』は同じ作者か?と確認してしまったほどおもしろかったです。わくわくした。

 

主人公の航太はもともと球技部のスポーツマンなのだけど、勝ち負けではなく単純に勝負が好きで、その単純さゆえとても素直な感性をしている。そんな航太をも俳句甲子園にまで誘ったエネルギッシュな日向子。航太の幼なじみで俳句の腕はたしかなのに、最初「おれの俳句はおれだけのものだ」と言った恵一。「感情を無理に言葉にしなくても作れるものがある」と知ったみやこ。しばしば彼らの緩衝材になってくれるフラットでおっとりとした和彦。みんないい子だ。瀬戸内海のあたたかな島が彼らをこんなふうに育てたのだろうなと思う。それがどんなに無神経な感想かなんて考えもせずに。

 

まつすぐな道などなくて南風

 

店を、家族を、守りたいと思っていても突きつけられる現状。反対に、島を出て進学したいけれど理解してもらえないいらだち。本土へ置いてきた家族、とりわけ兄への、言葉にできない感情。島を背負って生きていく家に生まれたこと――。

 

まっすぐに吹き抜ける風。それは、整った道で暮らしている私たちだから抱いてしまう幻想なのかもしれない。私たちが非日常を楽しむところ。そこで日常を生きている人たちがいる。

 

掌(て)にもがく蝉や言葉だけの故郷

 

俳句甲子園に焦点を絞りすぎたために諸々描写不足だったなとも思いますが、たった17音、それだけの言葉で心に吹き抜ける南風の衝撃をぜひ。

 

 


2.美輪和音『強欲な羊』【再読】

 

表紙がさぁ〜〜〜~~、まず、もう、良いよね!やっぱり。結局ね。杏チアキさんは紅玉いづきさんの小説『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』も担当されています。

 

姉妹編なる『暗黒の羊』が出たということで購入前に改めて再読しましたが、グイグイ引きこむ力がやっぱりすごい。私本は好きだけど遅読で集中力もあまりつづかなくて、けど『強欲の羊』は1日2日で読んじゃったもんね。止まらないんですよ。キューサイの青汁かと思った。完全に「まずい!もう一杯!(CV.八名信夫)」状態。あ、初読の感想はこっちです。

 

思えば『ゴーストフォビア』も恐怖症の話だったし、『強欲の羊』に登場する女はみんな狂おしい。美輪さんの中に基本テーマとして「人間の一部強烈な”歪み” 」があるのかもしれませんね。

 

5年前に読んだときは「ストックホルムの羊」が強烈に印象に残って次点で「強欲の羊」、あとはこれといって……という感想だったけど再読するとかなり印象が違いました。最大の発見は色とにおいへのアプローチ。たとえば血の赤や金木犀のオレンジ、これを黒の背景に浮かびあがらせることによってより色彩が鮮明に毒々しく見えるわけです。それから、タバコだったり公衆トイレの汚物入れだったりのにおい。文字を見ただけでぱっとにおいまでイメージできるものを舞台装置として使うのが上手いなと。

 

もちろん「強欲の羊」「ストックホルムの羊」は何度読んでもホント清々しい気持ち悪さなんですが、再読して強く心に残ったのは意外にも「背徳の羊」。考えてみたら5年前って自分25歳で、ちょうど「ストックホルムの羊」のカミーラあたりと同世代だったんですよね。で、今は「背徳の羊」の篠田たちと歳が近くて、感覚が追いつくことでより作品への理解が深まったって感じなのかな。羊子も初音もクレイジーだけど、水島も無神経だと思うし、篠田も同情するけど感情的になりすぎ、真や実も(これは過程が端折られているせいでもあるけど)あっさり父親に見切りをつけた感があるので、結果、全員クズだった。まぁでも全作品の全登場人物がみんなちょっとずつおかしいよねこの小説って。とんでもない後味の悪さ!

 

最後の話にしていまいち締まらないなと思っていた「生贄の羊」も続編があるとなれば納得のいく設定で、今後〈羊目の女〉がどう関わってくるのか楽しみ。

 

というわけで、『暗黒の羊』ポチります。

 

 


3.シオドラ・ゴス『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』(鈴木潤,他・訳)

 

表紙が良すぎる(2回目)。古典文学にそれほど詳しくない私でもかの有名な「ジキル博士」の娘が主人公というだけで俄然興味がわいたのに、ハイドにも娘がいて、あのフランケンシュタインもじつはもう1人の怪物を生みだしており、極みつきにシャーロック・ホームズとワトスンというラインナップでわくわくゲージが壊れました。なにこれ何周年記念のお祭りゲー?

 

雰囲気は、個人的にチャーリー・N・ホームバーグ『紙の魔術師』(原島文世・訳)以下3部作っぽさを感じました。主人公・メアリも知的で理性的な女性で、ホームズは紳士で、あああああん好き!

 

他にもナサニエル・ホーソーン『ラパチーニの娘』からベアトリーチェ、ハーバート・ジョージ・ウェルズ『モロー博士の島』から博士によって生みだされた猫娘・キャサリンが登場しますが、作中で彼女たちがきちんと出自を語ってくれるので原作に詳しくなくても問題ありません。調べたらどっちもおもしろそうだったんで、これはあとで個人的に読みます。

 

一応、キャサリンが事実を元に書いた小説、という体裁らしいのですがメアリたちがモノローグに割って入ってきてめちゃくちゃ自由にしゃべるのでその点も他の小説と一線を画していておもしろかったです。女5人、ときどきプラス2人、かしましくてところどころ笑っちゃった。

 

まったく別々の時代と作家が生みだしたマッド・サイエンティストたちが〈錬金術師協会〉という謎の組織でつながり次々と女性たちを怪物につくりかえている――というのはめっちゃ熱い展開ですよね。3部作だそうですが次どうなっちゃうんだろう。完結までしっかり見届けようと思います。はぁ、極上のエンタテインメントだった。

 

 


4.美輪和音『暗黒の羊』

 

というわけで、ポチッて読みました。

 

表紙イラストは安定の杏チアキ。デザインとしては前作のほうが好みだけど、読了後に改めて見るとなるほどここはあれでとパズルのようにカチカチつながっていく快感は健在でたまりません。

 

相変わらず、読みだしたら止まらないキューサイ青汁っぷり。前作「ストックホルムの羊」の続編となる「不寛容な羊」はもちろんのこと、とくに「炎上する羊」の穂乃花や「病んだ羊、あるいは狡猾な羊」の〈私〉なんか最高にクレイジーでよかったけど、全体的に前作よりかなりわかりやすいキャラクターやストーリーラインを使ったなという印象。露骨ともいう。編集の意見でも入ったのでしょうか。諸々考慮すると「病んだ羊、あるいは狡猾な羊」が登場人物みんなちょうどよく狂ったり企んだりしていて、いい意味で読者を突き飛ばして置いてってくれるのでパーフェクトだったな。狂っているかどうかはさておき単純に玖理子が好きです。やっぱり狐塚さん→女狐→コックリさん→クリコの発想なのかな。

 

「みんな、言ってたでしょ、お祖母様のお顔、安らかできれいだって」
「いや、だからって死んだ人の写真をアップするなんてありえないでしょ?」
「え、でも、お化粧できれいにしてもらった最期の写真だよ」

 

(P19/L11より引用)

 

くぅぅぅ、まずい!もう一杯!(cv.八名信夫)

 

 


5.森晶麿『黒猫と歩む白日のラビリンス』

 

森晶麿と知念実希人はやっぱり短編集にかぎるなぁ。黒猫シリーズ第7作目、新章にしてまさかの読みやすさ&おもしろさ。どうした。
方々のアウトプットがつながって、あとは単純にこれまでの2020年、芸術や美を考えるニュースが身近にあったことにも由来するのかもしれません。たとえば3話目「群衆と猥褻」はかの〈表現の不自由展〉、4話目の「シュラカを探せ」は実際都内にもあらわれた(?)バンクシーが絡んできたり。巻末に親切な補講も付けることでこれまでのシリーズより親しみやすくなりました。担当編集者が変わったのか作者が自ら施した工夫なのか。いずれにせよ有能オブ有能。

 

この状態は何なのだろうな、とときどき考える。単なる同級生だったのは遠い昔のこと。では今の二人を何と名付けたらいいのか、はたして名付ける必要があるのかもよくわからない。

 

(P14/L14~15より引用)

 

読みやすくなって、おもしろくなって、なお洗練されつづける文章。好き。

 


6.チャーリー・ジェーン・アンダーズ『空のあらゆる鳥を』(市田泉・訳)

彼女に冷たくしたのは、ほんの数時間前なのに、ロレンスは今、がくがくする膝頭で、ぎくしゃくする骨盤で感じていた。自分の人生の物語は結局のところ、よくも悪くもパトリシアと自分の物語であり、彼女が死んでも自分の人生は続くかもしれないが、自分の物語は終わってしまうのだと。

 

(P353/上段L3~8より引用)

 

あ”っっっっっ!(^o^)

 

という具合に自分は作中何回も尊死しましたが、ただ客観的に見ると、好みは分かれるのかなーって雰囲気です。私も諸手を挙げて好きとは言えない。

 

幼くしてすでに科学と魔法、相対する才能に愛されたロレンスとパトリシア。まるでその代償みたいに世間から爪弾きにされていた2人はジュニアハイスクールでいよいよ邂逅を果たし、唯一の理解者となるも、2人を中心に科学と魔法は対立し世界が崩壊するという未来のヴィジョンを見たとある暗殺者によって一時は引き裂かれ――。

 

設定はめちゃくちゃにエモい。最初に言っておくと。科学と魔法の対立構図ってだけで変なよだれ出そうなぐらいだけど、魔法は魔法で”ヒーラー”と”トリックスター”2つの派閥と歴史があったりとか、そのうえで〈人間〉〈自然〉〈機械〉の三角関係が物語の社会的な大きな枠組みになってたりとか。

 

ただパトリシアとロレンスの関係って、個人的な感想かつイメージですけど、喩えるなら「ビッグバンセオリー」のレナードとペニーをそれぞれ科学の天才(これは原作どおり)と性格エイミーの魔法使い(これは原作レイプ)にした感じなんですよね。日本風に言うなら「幼なじみ」とか「腐れ縁」だけど、純愛とか一途が好きな日本のオタク感覚だととくに2部・3部あたりちょっと萎えるかなって気もします。そのへん思ってたのとはちょっと違ったかな。

 

翻訳はもったりしてるというか遠まわしな表現が多いです。それで約370P本文2段組みだもんなぁ。同じ翻訳家の『ずっとお城に住んでいる』とかこんなつまづいた記憶ないので、純粋に作者の書き癖みたいなものなんでしょうかね。作者といえば「読者の皆さんがこの物語を楽しんでくれたならいいのですが。もしも楽しめなかったなら、あるいは意味のわからない箇所や、でたらめすぎると思える箇所があったら、わたしにメールをください。あなたの家まで行って全篇を実演させてもらいます」っていう謝辞も好きです。こんな人に作品つまらなかったとか言えない。

 

というわけで、クライマックスからラストシーンにかけての神がかった展開に最後は本を抱きしめて「Thank you…」と結局尊死する私でした。

 


7.ジェラルディン・マコックラン『ロイヤルシアターの幽霊たち』(金原瑞人,吉原菜穂・訳)

 

幽霊が自らの死の物語を聞かせ彼らのパーソナルまたは彼らが生きた時代そのものを味わう、という作品は他にもキャンデス・フレミング『ぼくが死んだ日』(三辺律子・訳)とかもあるけれど、共通しているのは幽霊たちに対する優しい祈り。幽霊一人ひとりの物語や作品全体の展開はもちろんまた違った雰囲気だけれど。中盤にはストーリーの大枠自体に驚くような展開があるし、生者から幽霊が見えるとはどういうことか、という客観的な解釈がとてもあたたかかったり。

 

個人的にはとある場面における「火災報知器」の挿絵に「おっ」と思いました。これはその前にマイキーという幽霊が劇場の火災を現所有者の夫婦(劇場に寝泊まりしている)に伝えるためボタンを押そうとしているシーンがあるのですが、「割れろ! 割れろよ! くそ!」幽霊なので当然どれだけやったところでガラスを割ってボタンを押すというのができないんですね。そんなマイキーを火災報知器は「赤い箱の中にある丸い目」となって「生意気にこっちをにらみ返している」。ここで実際に火災報知器の挿絵が登場するわけです。「火災が発生した場合はガラスを割ってください」思わず読者も押したくなるような場面ですが、もちろん、紙に印刷された絵なので押せるわけはなく。そう。このときマイキーが感じている無力感を読者もまた同時に感じることができる仕掛けなんですよねこれ。

 

そう考えると読者というのは小説から見た幽霊で、主人公・グレイシーのしつこい「あなたの物語を聞かせて」という言葉は私たちにとってもまた違った響きも持っているな、と思うなど。

 

「いま、彼はこう考えているの。わたしたち幽霊はどういうわけか、その……雨の日チケットをもらっているんじゃないかって。その人の人生の……えっと……雨の降っていた部分の埋め合わせとして」

 

もしも自分が死んだとして、幽霊になったとして、魂は生前自分が愛した場所に留まって、そこには生きた時代だけが無数に違う同好の士たちがいるとしたら……それこそ第二の人生、考えただけでわくわくします。

 


9.住野よる『か「」く「」し「」ご「」と「』

 

住野よるの小説を読んだのは『よるのばけもの』が最初だったけれど、なかなか隠しごとが巧い作家だな、というのが所感です。若年層、とくに女性に人気という作風すら「隠しごと」なのだろうとすら最近は思ってる。そしてそれは伏線やミスリードといった巧さではなく、読者であれば誰でも見破れるという普遍さ――そういう意味での巧さであり、物語というよりも彼のそういった「書く仕事」としての技量を、私は楽しんでいる節がある。

 

『か「」く「」し「」ご「」と「』だってそう。京くん、つづいてミッキーの視点で語られる序盤のフェーズはあたりさわりのない青春小説という印象で、これといって引っかかるものはなかった。三十路目前に青春小説はキツいのかなーと、いつもどおり思ってた。感想を残すことになるなんて、正直、まったく思ってなかった。

 

ところがである。手元にあるこの文庫本を見てほしい(いや、これを読んでいるあなたはもちろん見ようがないのだけれど)。つまりドッグイヤーのつきかたが異様なのである。つるつるの前半120ページ。そこから主人公はパラ、ヅカ、エルへと変わっていき、おびただしいドッグイヤー。

 

また、まんまと騙されてしまった。京くんの甘酸っぱい恋物語じゃなかったんですよねこれ。かといって、淡々と個性豊かな高校生五人組の青春物語でもない。たまたま五人が高校生で、ついでに、ちょっと変わった特殊能力を持っているだけの、

 

そう思った時に、きっと心の形が決まったんだ。

 

(P252/L14より引用)

 

心の形成という、人類レベルに壮大でとんでもなく普遍的な日常小説だった。普遍は好きだ。結局、泣きそうになって、ときどきフフッとして、エピロオグはちょっと締まらなかったなーとかいいつつ、そしてこの長文である。饒舌ぅ!

 

ところで先日、知人が学生時代の友達に会いに行きました。何年かぶりの再会なんだって。私には中学時代から細々と関係がつづいている子一人しか友達がいないので、いやぁ、そのささやかな同窓会があまりにまぶしく見えたものです。それで、帰ってきた身内に友達は大事にしたまえという上からな助言と、それから「今日は楽しかったよ」的な簡単なお礼メッセージでも送っておきなね、と言ったら鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしていて。

 

「なに、そのめっちゃ細やかな気配り」
「え」
「え、こわっ」
「いや、常識……」
「1ミリも考えてなかったわそんなん」

 

こんなやつに学生時代からのつながりが私よりあるほうがこわい。ってかむかつく。

 

「そういうことできるからTwitterで友達つくれるんだなー、羨まっ」

 

しばらくそんな予想外のポイントを謎に褒められたことを、読後思いだしました。自分のことを知るのは難しい。人のことを知るのはもっと難しい。絶対わかりっこないわ、ゲーム好きってところ以外まったく似たところないのになんでこいつと七年近く一緒にいるのか未だ謎だし。

 

考えるだけ無駄。
隠すだけ、無駄無駄!

 

それはきっと、風変りな能力を持った高校生だっておんなじことだ。

 


 

2:佐々木麦 2020/12/25(金)12:34:56:789 ID:sasakimugi

以上です。

 

下半期はとくに9月「読書合宿」と称して4日間で11冊とかなりがんばって小説を読んだけど、結局年間57冊。2017年から50冊、60冊、70冊と年間読書量を増やしつづけてきたので今年は80冊と思ったら、無理でした。

 

まぁ大事なのは冊数じゃなくて1冊1冊の読書体験とアウトプットだし。そういう意味では読書合宿で辻村深月を3作品、森見登美彦、その後も小林泰三や深緑野分など有名どころを齧れたのはよかったんじゃないかな。

 

例年どおりの平均値に留まってしまった最大の原因はnoteに掌編小説を投稿しはじめたからだけど、小説を読んで小説を書くは10代の頃の生活リズムに戻ったというだけの話だし、どちらかというと課題はすきま時間の活用方法。読書の息抜きに読書するという、ゲーム実況者みたいなマインドで2021年は読書廃人を目指していきたい。

Ranking
Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。