crime photo

 

 

 

あれ、
最近どんよりした作品ばっかり触れすぎ?

 

6月、このジメジメした季節。
ただでさえ気圧の関係で頭痛になりやすい季節。
積極的に精神を追いこんでいく生活マゾすぎワロタ。

 

『さよなら、シリアルキラー』
『予告犯』(映画)

 

このどんよりした流れから、
フェルディナント・フォン・シーラッハ先生『犯罪』読了しました。

 

読了後に人間辞めたくなるという(笑)

 

人間マジ愚かすぎる辞めたい( ^ q ^ )

 

全11編すべての感想を書く気力が微塵もないので
個人的に好きだったおはなし5編の感想をどうぞ!

 

 

 

フェーナー氏:

 

永遠の愛を誓ったはずの妻を殺めた男のおはなし。
最初のおはなしにして涙腺が崩壊した個人的No.1。

 

ところが、そう、この「ところが」にこそ問題の核心はあった。
フェーナーは現代人ではなかったのだ。

 

哀れなほどに、愚かなほどに、誠実なフェーナー氏。
しかし誠実な性格はときに融通が利かないという短所になる。
絶えず変化していく時代の流れの前で、それは、じつに無力で。

 

こんなにも心を揺さぶる人物であっても、
ひとたび罪を犯せば誰しも「犯罪者」という枠組みに収容される。

 

犯罪を擁護するわけではないけれど、
なぜだか心にぽっかり穴が空いたような気持ちになるのです。

 

 

 

チェロ:

 

常に一緒だった弟を殺めた“輝かしい未来”ある姉のおはなし。
後半から一気に転落していく姉弟を見るのは心底つらかった。

 

「三つ子の魂百まで」ということわざがある。
子供時代の出来事はすべて人格形成に
重要な影響を与える。
そして、子供はそのあいだ、親と家(環境)を選ぶことができない。

 

どこまでぼくらを苦しめたら気が済むんだ。

私たち、あんたみたいになりたくないのよ。

 

親という眼前の流れに逆らおうとした姉弟。

 

だけどそれでもじわじわ押し流される。過去の方へと。

 

独房でその一節に赤ペンで傍線を引いたとき、
彼女の脳裏に再生された〈過去〉はどんな音色を奏でていただろう。

 

 

 

ハリネズミ:

 

兄を救うため法廷中を騙す犯罪者一家の末っ子のおはなし。
カリム君がただのインテリイケメンで困惑してしまうおはなし。

 

以前『さよなら、シリアルキラー』を読んだときに、

 

ぼくはどうすればよかったんだ。
(中略)
父さんが眠っているあいだに殺せばよかったのか。
父さんを止める方法はそれしかなかったはずだ。
自分の父親を殺せって?

 

殺人鬼だった父をもつジャズの心情に胸を打たれたけれど。

 

どうあがいたって家族なんだものね。
たとえ「犯罪者」になっても家族であることは永遠に変わらない。
家族を守りたいと思ってしまうのは犯罪者一家とか関係ない。
カリムの気持ちが容易に想像できてしまうからむなしいのです。

 

 

 

棘:

 

ある彫像の“棘”にとりつかれてしまった男のおはなし。
「作者の眼はそうした病者に実に優しい」(解説より引用)
心が“棘”に蝕まれていくまでの描写が丁寧なのですよ。

 

毎日、少年の彫刻とともに過ごし、考えた。
(中略)
そのとき、小さな棘を踏んだのだ。
痛くて歩くこともできず、他のみんなにおいてきぼりにされ、
ひとり岩にすわるしかなかった。
そして憎たらしい見えない棘を何百年も足に刺したまま
抜くことができずにいる。

 

こうした読書感想文を書いていると、
文章を手がかりに自分なりの解釈や意見を練ることが多く
フェルトマイヤー氏のこうした思考の仕方はよくわかります。

 

たまに思うことがあるのです。
結論が出た「考え」は自分の所有物にすることができますが、
まだ途中の「考え」はまったく別の生きものなんじゃないかと。

 

たくさんの可能性が散らばった野にそれを放つことは、
「考え」が何と結びつきどこに落ちつくかワクワクする一方で
ときに中止や休憩のコントロールができず苦しむこともあり。

 

そんな一種のモンスターと23年間も共にいたフェルトマイヤー氏。
だから、退職するときのあの行動には、少し安心してしまいました。

 

 

 

愛情:

 

愛しているはずの恋人を突然刺してしまった男のおはなし。
思わず「ぐぇ」と言ってしまったエグい表現が含まれています。

 

ぼくはおかしいんですか?

 

パトリックの応酬がことごとく胸に刺さる。
純粋なんです、そして、悩み戸惑っているのです。

 

翌日パトリックが来なかったのはおそらく、
自分のおかしい部分を身をもって否定するためだったのでしょう。
それなのに…それなのにあんな一文で終わるなんてつらすぎる。

 

 

 

感想をまとめているあいだに、
すこっぷ氏のVOCALOID楽曲『ケッペキショウ』を思いだしました。
汚い世界の汚い自分に、というこの曲の中でこんな歌詞があります。

 

それじゃ ちゃんと教科書でも作り ちゃんと定義してよ
人のあるべき生き方とか清く正しい男女関係

 

法律、校(社)則、ルール、マナーetc.
模範的な人間であるための決まりはいくつもあるはずなのに。
どうしてみんながみんな模範的な人間に統一できないのでしょう。

 

「感情」に教科書があれば、あるいは、世界はキレイになるのでしょうか。

 

 

歌詞はこちらの楽曲より引用しました↓

ニコニコ動画:
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19595505

『ケッペキショウ』収録CD:

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。