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今年1月に兄の結婚式があったのですが、
式の演出で出席者にはそれぞれキャンドルが配布されました。

 

キャンドルの色は新郎・新婦が
それぞれの人をイメージして選んだ色だそう。

 

私は濃いめのピンク色でした。
好きな色の話なんかしたことないのに、
わかるものなんだなぁとびっくりしました。
まぁ、私は兄の好きな色、さっぱりわかりませんけどね。

 

私のイメージカラーがピンクというのはなんだか共通認識のようです。
プレゼントなどでピンク色のものをいただくことはわりとありますよ。

 

同じぐらいブラウン系も好きで、
部屋全体や私服はこっち系統が多いです。

 

人の記憶を宝石に変えてしまう〈思い出泥棒〉。
彼が私の記憶から宝石が採ったとしたらそれは、
ピンクなのか、それとも、ブラウンなのか――気になるところです。
森川智喜さんの『ワスレロモノ 名探偵三途川理 VS 思い出泥棒』読了しました。

 

 

 

名探偵-記憶=万事解決、じゃないかも!?


 

 

魔法の指輪で人の記憶を宝石にする青年・カギノ。

 

彼は相棒のユイミとともに、
ある宝石を求め「思い出泥棒」として活動している。

 

舞台女優の台詞、
スキャンダルの目撃……
依頼に応じて記憶を盗むカギノの仕事は完璧。

 

しかし
行く手に悪辣な名探偵・三途川理のどす黒い影が!?

 

※あらすじは講談社タイガHPより抜粋しました。
http://taiga.kodansha.co.jp/author/t-morikawa.html

 

***

 

名探偵にして冷静、冷酷、冷血。

 

探偵役と悪役を1人でこなしてしまう
欲張りな“極悪名探偵”の三途川理が
推理と悪を味わいつくす「名探偵三途川理」シリーズ4作目。

 

今回の相手は
人の記憶を宝石にして盗む、人呼んで〈思い出泥棒〉。

 

推理力だけでなく、
なにより事件の情報をより多く覚えておくための
記憶力がモノをいう探偵にとってこれは劣勢か…?

 

という心配は無用。

 

最後まで騙し騙され奪い奪われ。
ワクワクさせてくれました、いやぁ、ページを繰る手が止まらなかった!

 

 

 

講談社タイガから刊行された小説ということで
(というより講談社時代の過去3作品もですが)
文体や物語の鍵を握る小道具がラノベ風で軽めなものの、
「歩く解決編」こと三途川のたたみかけるような解決編や
清々しいまでの極悪非道な思考回路は読んでいて爽快なので
手を伸ばしづらいかもしれませんがこれはぜひ読んでほしい。
三途川はあくまで敵役で主人公は毎回違うのでここから読んでもOKです。

 

私はミステリーは好きなのですが
推理そのものは得意なわけではなく、
普段はただ展開に身を任せているのですが、
本作は「こうかもしれないな」と思ったり
実際に「思ったとおり!」となる場面もありましたので、
物語に参加しながら読むにはちょうどいい塩梅なのではないでしょうか。

 

 

 

余談ですが、
私は過去作のうち1、2作目に登場した
緋山燃君というキャラが好きなのですが
前作『踊る人形』には姿どころか名前すら登場しなかったので
今後一生出ないのかなと再登場は半ばあきらめていたのですが。

 

自分は、
そういうタイプの人間をほかにも知っています。
その一人は十七歳、つまり自分と同い歳で、
同じく探偵をしていましたけどね――
そいつは、なかなか手ごわい敵だったといえます。

(P247/L6~8より引用)

 

やったね緋山!今作はふわっとぼんやり出演できたね!(涙)

 

三途川からも正統ライバル認定がいただけたので、
緋山君の再登場および再対決…そろそろ…ありませんか…?
「三途川 緋山」で画像検索してファンイラストを漁る私の気持ちも考えてください。

 

 

 

追記:

 

記事にリンクを貼るため
講談社タイガHPを見に行ったのですが、
来月発売の最新作に緋山君が登場するようです。
いよいよ本シリーズのメインヒロインと再会ですね、楽しみ。

 

 

 

「記憶」と「思い出」の境目


 

「(略)『思いだせない』ときは
きちんとした手順や何かのきっかけを通せば、
必要な〈思い出〉を取りだすことができます。

ですが『忘れた』場合は、
何をやっても〈思い出〉を取りだすことができません。
頭の中の引き出しにもう入っていないんですから」

(P20/L15~18より引用)

 

主人公である〈思い出泥棒〉のカギノは物語序盤、
思いだせないことと忘れることの違いをこのように語りましたが、
私が読んでいて考えていたのは「記憶」と「思い出」の違いです。

 

記憶と思い出とはなにが違うのでしょう。

 

前者は情報、
後者は感情が関わるものだと、私は考えています。
その線引きは本人以外にはできないことなのだと、
第1章「瑠璃色の思い出」を読んだときに思いました。

 

思い出が宝石になるという仕組み。
これは、「思い出」として保有する持ち主の
感情に起因しているのではないでしょうか。
本人にとって価値のあるもの=万国共通で価値のある宝石、という考えかたです。

 

ならば、
思い出泥棒とはなんと罪深いのでしょう。
思い出だけでなくそこにあった感情まで
指輪ひとつで簡単に奪ってゆくのですから。

 

 

 

思い出は宝石に値するか


 

「次々に盗んでいたんだから、同じようなものだ――」
私は強く言い返した。
「――おれは、五年ぶんの記憶を失って、当然だった」

(P309/L11~13より引用)

 

思い出泥棒を、擁護するわけではないのですが。

 

前項でああ言っておきながら、私にはじつは、
実際のところ記憶や思い出というのは本当に
宝石に値するほど価値のあるものなのか、という疑問もあるのです。

 

どこでもドア問題やスワンプマンなど、
人の継続性に関する思考実験はいくつかありますが、
このとき思考の手がかりの1つとになるのが記憶です。

 

昨日の記憶を持っていれば、
昨日の私と今日の私は同一人物だと言えるのでしょうか。
たとえば3歳の頃の記憶が曖昧だったら…当時の私と今の私は別人なのでしょうか。

 

こういう思考実験を本で読んだときに、
記憶に思っているほどの正確性や価値はないのかもしれない、と思ったのです。

 

たとえば、
プレゼントは物と思い出ならどちらがうれしいですか?

 

答えや理由は人によって異なりますよね。

 

宝石にまったく興味を示さない人もいれば、
宝石こそもっとも価値があると信じる人もいます。
「記憶」と「思い出」の境目はそういうところにもあるかもしれませんね。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。