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森川智喜『バベルノトウ 名探偵三途川理 vs 赤毛そして天使』を読了。

 

緋山回です。

 

前々作の感想を読んでいただければわかるとおり、
私はこの緋山燃という超不憫な探偵のことが好きです。緋山かわいいよ緋山。

記事を読んだ知人から
「緋山君のことしか書いてなかったよ」と指摘があったので、
今回は緋山への愛をところかまわず叫び散らさないように気をつけます。

 

 

 

言語の限界を超え結末を見届けよ


 

地上に舞い降りて楽しく遊びすぎてしまった3人の天使達。

 

天界に帰る力が溜まるまで身を隠すべく、
彼女達が人間にもたらしたのは「言語混乱」という災厄だった…!

 

この世で誰も使っていない言語しか、
話すことも理解することもできなくなった
青年実業家・椿を助けるために呼ばれたのは、
輝く瞳に赤毛の高校生探偵・緋山燃と、
彼をライバル視する極悪探偵・三途川理で……!?

 

※あらすじは講談社タイガHPより引用しました。
http://taiga.kodansha.co.jp/author/t-morikawa.html

 

 

 

シリーズ2作目『スノーホワイト』以来となる
名探偵・三途川と宿命のライバル・緋山燃との推理対決が再度実現。

 

早々に舞台へあがり途中退場ナシ。実体もある。セリフも多い。

 

よかった。
作者に虐げられる不憫な緋山はもういないんだね。
と思っていたら、そんなことはまったくなかった。

 

頭脳労働に肉体労働。
読者に絶対嫌われる小難しい解説役。

 

ああ、緋山――きみが報われる日はあるのだろうか。

 

 

 

ページ数としては短めだけど、
タイトルからもわかるとおり作中では言語についての講釈が多く、
ミステリーやエンタテインメント以外の観点からも気づきや楽しみがあって読みごたえは充分。

 

ちょうど、
論理思考やら聖書解説やらの本を読んだあとだったので
三途川や緋山の言語へのアプローチはおもしろく読めました。

 

ただ登場人物同士の会話で進められる講釈は
まわりくどくテンポを乱してしまうのが難点。
ただでさえ〈シムニャゼク語〉がすでにテンポを止めてしまっているのに。

 

読みやすさやオチの弱さなど
好みが分かれそうな点も多いのですが、
帯の「知の輪郭に迫る」は伊達じゃなく、
過去作とは一味違った硬派な一面があって私は結構好き。

 

 

 

言語は理解へ導くだろうか


 

探偵2人の〈シムニャゼク語〉解読風景は、
人間が一から未知の言語の辞書を作るとき
こんな感じだったのだろうか、と、感慨深かった。

 

そういえば、
未知の言語に出会ったときは
とりあえず「なに?」にあたる言葉を覚えろ!
というような話をどこかで聞いたことがあるような。
それさえ覚えてしまえばあとは指をさすだけで大抵の単語を理解できるから。

 

 

 

おれたちの言語には〈月〉という言葉がありますね。
(中略)
この言葉がこんなに短い表現であるのは、
普通に考えて、月が人々の暮らしになじみぶかいからです。

(P156/L17~P157/L1より引用)

 

緋山の考察は
出口汪氏『論理思考力をきたえる「読む技術」』の論に似ている。

 

出口氏は著書の中で
「他者意識が希薄な時、言葉は省略に向かっていく」と述べていた。

 

初対面の人に対しては丁寧な言葉を使うが、
次第に気心が知れていくと、言葉遣いはぞんざいになり、どんどん省略されていく。

(出口汪著『論理思考力をきたえる「読む技術」』P39/L11~12より引用)

 

言葉を作る際、
はじめから他者意識がなければ=身近であれば、
なるほど生まれる言葉も短いものになるだろう。

 

 

 

言語の力は強力だ。
言葉が通じないというまったく同じ状況下でも
「あきらめる」という言葉と「開き直る」という言葉、
どちらの選択がどのような変化をもたらすのかは
午前と午後の椿の様子を比較してみればよくわかる。

 

自己の内面に広がる世界は自分だけが住人であり、
自分の意思決定がルールであり、正解であり、真実だ。

 

その数多ある決定のすべてが他人とぴったり合致するなんて、一体何%の確率だろう。

 

言語はあくまで
便宜上用いられる一般的なものさしでしかない。

 

緋山燃と三途川理。
彼ら2人の「探偵」がまったく異なる存在であるように、
我々人類が言語を介したところで完全に理解しあえることなんてきっとない。

 

 

 

神に挑む小説 そして作者


 

作中「偽証」という言葉が出てきたけれど、十戒において偽証とは、
「(神に誓う)法廷の場で嘘をついてはならない」という意味だそう。

 

そういえば
バベルの塔とはそもそも聖書に登場する塔でしたね。
なるほどこんなところにも聖書がかかってくるわけだ。

 

バベルの塔が神への挑戦だったのなら、
型破りな名探偵・三途川理もミステリーへの挑戦であり、
言葉で物語を編む小説において〈言語混乱〉などという
題材を選ぶことそれ自体も小説や読者への大きな挑戦だ。

 

飽くなき挑戦で高度なミステリーを生みだしつづける作者に
神が恐れをなして〈言語混乱〉をお見舞いしないだろうか、と、
読者としては森川氏自身がバベルの塔にならないか心配である。

 

結局作中明らかにされなかった
東浦が残したダイイングメッセージについては、
一応考察をしてみたのでそちらは考察記事として後日更新したい。

 

追記:考察記事ができました。こちらからどうぞ。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。