あなたさまは、川瀬七緒の『女學生奇譚』という小説をご存知でしょうか。それは曰くつきの古本の謎を追うミステリーでありながら、昭和初期の女学生たちをめぐるホラーでもあり、最後には爽やかさすら感じる主人公・八坂駿のヒューマンドラマでもありうるという、とにかく一言では形容しがたい1冊なのでございます。ただひとつ胸を張って言えるのは、この本がじつに良質であったということ。麦はあなたさまとぜひこの恍惚感を共有したく、筆をとった次第でございます。

 

うん、やっぱ平成生まれに昭和初期の女学生の文体は難しいわ。ここから平常運転です。

 

 


 

 

仔羊のフィレ・ミニョン、骨つき仔羊のペルシャ―ド、太刀魚のテリーヌ……実際に登場するのは字面だけでも美味しそうなフランス料理の数々なんですけど、読了後、最初に浮かんだ言葉は「和菓子職人を見ているようだった」なんですよね。

 

オカルト雑誌の編集長・火野の指示で編集部に持ちこまれたとある古書の調査をすることになったフリーライターの八坂。曰く、本には「この本を読んではいけない」と警告の書かれたメモがはさまれており、持ち主だった男は現在も行方不明。昭和初期の女学生の手記らしき中身を音読しつつ(!)、相棒の篠宮、依頼人のあやめ(持ち主の妹)とともに真相を追う八坂だったが、小説と現実世界での料理の偶然の一致にはじまり、身のまわりで不気味な出来事が起こりはじめる――。

 

丁寧に練られたことが一目でわかるプロットを踵からゆっくりじっくり踏みしめて進むような読み心地が、生々しくて、気持ち悪くて、小説を読みながらこんなにはっきりと身体がゾクゾクしたのは久しぶり。じつに良質な文章でした。子供の寝かしつけのために書かれたカール=ヨハン・エリーン『おやすみ、ロジャー』という絵本があるんですが、感覚的にはこれに近かったかな。趣向としてはスティーブン・ミルハウザー『私たち異者は』(柴田元幸・訳)あたりを思いだすべきなんだろうけど。

 

澤村伊智『ひとんち 澤村伊智短編集』の中で一番好きなのは「シュマシラ」だし、私はどうもホラーやミステリーに関してはルポルタージュ的なものが好きなのかもしれない。

 

 

 


 

 

「ウルバッハ・ビーテ病。先天的な染色体異常ですよ。扁桃体へんとうたいが変性していて恐怖を感じる回路がない」

 

(P165/L6~7より引用)

 

で、その主人公・八坂駿(今年で34歳)なんですけどね、恐怖を感じないという、まさにこういうオカルト記事を書くのにうってつけのチート能力を持っているんですよ。

 

「命を脅かされる恐怖はどんな感じだ? 量産されすぎて、たいしたもんじゃない。あんたはそう言ってたよな」

 

(P381/L4~5より引用)

 

いや、チート能力に見えるけど、だからこそ「恐怖とはなにか?」を読者は八坂とともに考えつづけなくてはならなくて。心強いどころかかえってこわいんですよね、それ。八坂も言っているとおり恐怖心は記憶としても蓄積される。自分はなにがこわいのかを確認するっていうのは対象と恐怖をより強くイコールで結びつけることになるわけです。メカニズムがわかればこわくなくなるのでは?と思って菊池浩平『人形メディア学講義』を読んだら余計人形がこわくなったのと同じ。バービーやリカちゃんはやっぱりこわいし、ついでにピノキオやアンパンマンも悲しい話に思えてこわくなりました。結局めちゃくちゃおもしろいけど!

 

八坂が自分の異常性と、ときにコミカルに、ときに真面目に、しっかりとむきあっていることだけが救い。第5章の展開はミステリーとしては賛否わかれそうだけど私は好きだな。八坂が主人公だったからこそのケリのつけかただと思います。最後の1文が超好きなの。続編が望まれる。

 

 

 


 

 

一方、劇中小説『女學生奇譚』の主人公である女学生・佐也子はどうやら〈あのお方〉の屋敷に幽閉されているらしいのですが、めくるめく極上の料理を堪能するうち、やがて舌が肥え、着実に狂わされていきます。

 

けれども、ここにきての転機は思考の著しい変化だった。価値観や倫理観が雪崩のごとく崩壊しようとしており、その引き金のひとつになっているのが料理だろう。一年間、毎日欠かさず最高級の食事を浴びるように与えられていることで、舌が肥えるどころか感覚そのものが狂わされている。まるで餌付けだ。

 

(P188/L15~17 , P189/L1より引用)

 

食べるという字は「人」を「良」くすると書きますが、そもそも、食事ってたまに異常だと感じることがあるんですよ。

 

個人差はあれど「食べる」という行為って相対的には一瞬の出来事じゃないですか。で、そのたった一瞬のために、下処理とか、何時間煮こむだとか、1日寝かせるとか、料理にはざらにあるわけ。冷静に考えたらこわくない?ただ必要なものを食べるだけでは満足できない人間の欲望や執念を感じるというか。

 

そして、「食べる」という言葉に内包された、噛む、どころか、噛みきる、噛みちぎるという無意識の凶暴性。私は食事をする自分を見られることに恐怖・不安を感じる人間ですが、なるほど、ここにも原因があるのかもしれません。油断するとときどき、食事とはおそろしく粗暴なものだと思ってしまう。

 

「人」を「良」くするとは本当でしょうか。

 

垂涎ものの料理に彩られた物語の行間から私は、そんなグロテスクさも垣間見てしまうのです。

 

 


 

 

ここに、『女學生奇譚』という料理がある。

 

フランス料理然とした美しさに内包されたグロテスクなほどの人間の欲望。そして困ったことに、身体によくないものほど美味いという罪を、私たちはよく知っている。

 

この本を読んではいけない

 

今、スプーン一杯の甘やかなソースがかけられて。

 

愛でるように、あるいはいたぶるようにじっくりと丁寧に調理された“恐怖”の皿。はたしてあなたは果敢にもフォークとナイフへ手を伸ばすでしょうか。すっかりこのお料理おはなしの虜となってしまったわたくしは佐也子のごとく、ああ、今か今かと、笑みをたたえてその瞬間を待ち望んでいるのでございます。

 

女学生口調ってやっぱ難しいわ。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。