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ネットでたまたま見かけた情報なのですが、人は1日に200回も嘘をつくのだそう。なにそれ。もはや毎日がエイプリルフール。

 

嘘というのはなかなか不思議なものです。「嘘つきは泥棒のはじまり」「嘘ついたら針千本飲ます」日本には古くからそんな言葉もありますし、童話「オオカミ少年」や「ピノキオ」も嘘をつくとロクな目に遭わないぞ、と子供心にこれはひどいと思える展開で訴えてくる。なのにその一方で「嘘も方便」という言葉もあって。

 

興味本位で「嘘」にまつわる言葉を調べてみると、種類の多さにまず驚いたのですが、我々は未だ嘘の定義や善し悪しを測りかねているのかもしれません。今回はそんな「嘘」にまつわるおはなし。清水杜氏彦氏の『うそつき、うそつき』読了です。

 

 

 

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国民管理のため、首輪型嘘発見器の着用が義務化された世界。少年・フラノはかつて〈師匠〉から授かった首輪除去技術で非合法に依頼人の首輪を外す。強盗犯、痣のある少女、詐欺師、不倫妻……。様々な事情を抱えた人々の依頼を請けながら、密かにフラノが探し続けている、特殊な首輪。師匠ですら除去法を教えられず、存在自体ほぼ確認されていない難攻不落の型〈レンゾレンゾ〉。

 

レンゾレンゾを探しだして、外す。

 

ある目的のためレンゾレンゾを求めることはやがてフラノを窮地へ追いつめることに。

 

首輪に隠された秘密とはなんなのか。人はなぜ嘘をつき、また真実を追い求めるのか。近未来の管理社会を生きる少年が苦悩と成長の先で迎えた衝撃の結末。

 

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約400P。読みごたえのある1冊でした。〈首輪型嘘発見器〉という変わった設定もあり、慣れるまでなかなか集中力が続きません。読了までちょっとグズつきました。

 

あらすじには「苦悩と成長」とあったけど、フラノが“成長”するのは本当に最後の最後。全体で見るとひたすらに苦悩していました。信じて、裏切って、自己嫌悪で絶望して、立ちなおっては同じことをくりかえして。しんどすぎる。18歳とまぁ、若さゆえの不安定さなのかなぁとは思いましたけど、何度「おまえはいっつも…!」と嫌になったことか。

 

だけどフラノのこの不安定な心は、友人・ハルノが言っていたような、

 

嘘ってのは過度に残酷な事実から相手を護ってやる思い遣りみたいなもんじゃないか。

 

だったり、

 

騙されているうちは傷つかない。騙されたと気付いたときに相手は傷つくのさ。自分のガードの甘さを思い知ってね。

 

といった〈嘘〉というものの象徴にも見えます。

 

 

 

そして、物語が首輪の着用が義務化されたあとからはじまっているという点。人はすべてがはじまったあとそれを意識しはじめ、やがてそこに感情が生まれたあとではもう手遅れ。そういった社会に対する個々の認識への警鐘のように見えます。

 

首輪除去からはじまり、次に管理社会との対峙、そして最後はサクラノ。フラノが直面するものは物語が進むにつれ、彼の中でどんどん大きくなっていく一方で、首輪除去の技術“だけ”の彼にはどうにもできない。社会という漠然とした、大きな〈なにか〉に対して非力なのはもちろんフラノにかぎった話ではなく。そういう意味では、ディストピア小説でありながらリアルな社会小説だったなぁと。

 

 

 

余談かもしれませんが、作中1つだけ気になることがありました。

 

タイトルの「うそつき、うそつき」
特殊な首輪「レンゾレンゾ」
P372の「〇〇〇〇〇、〇〇〇〇〇」(※気になる方はぜひ読んで確認を!)

 

そうなんです、同じ単語をくりかえす言葉が印象的で。

 

これについて調べてみたのですが、なんでも嘘をつくときにあらわれる特徴として「同じ言葉をくりかえすというのがあるそうです。もしかするとタイトルの『うそつき、うそつき』というのは、この小説にはうそつきがたくさん出てくるけどみんなそれぞれに理由や信念があって、だから本当のうそつきではないんですよ――、なんて隠しメッセージだったりするのかもしれません。

 

思えば「KY」なんて言葉が前に流行りました。空気を読むことが必須スキルになってきた昨今、本当に人は1日200回嘘をついているのかも。簡単につけるからこそ、今一度〈嘘〉の価値観を見つめなおしたいものです。

 

 

2017年10月25日に加筆修正しました。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。