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ベッドからこんにちは。麦です。今、絶賛、頭痛。というのもね!読書の秋だし本にまつわる小説でも読もうかな~と軽い気持ちで川添枯美『貸し本喫茶イストワール 書けない作家と臆病な司書』を読んだんですが、3回泣いた。そして感極まりすぎて頭痛発症。「考え事すると、すぐ頭痛くなっちゃうの」とはヒロイン・文弥子の言ですが完全にそれ。冷えピタ貼りながらで失礼しますがとにかく聞いてくださいよ、4年ぶりに読んだ小説がめちゃくちゃよかった!という話。

 

 


 

 

主人公は、「本のことになるとムキになってしまう」21歳の青年・木山晃司くんです。わかる。

 

本を「書く」と「読む」と「売る」がごっちゃになって、わからなくなってしまった。

 

(P64/L13より引用)

 

晃司くんはねぇ、若くしてめでたく作家デビューしたもののいろいろあって、ある出来事が決定打となり、今は小説が“書けない”んですよ。“書かない”のではなく。ある出来事については終盤で明らかになるんだけど、泣くポイントとしてはまずここね。再読だし、もちろん顛末は知っているけどやっぱり「ああっ……!」って目を背けた。「物語」を愛する人なら確実にみんな唇を噛むエピソードです。

 

私も趣味で小説を書くんですけどね、小説投稿サイトにいくつか登録していたの、最近退会しました。自分の書きたいものと世間で読まれるもののズレとか、営業目的でつけられているであろういいねとか、通知欄にいつまでも残る「もっと読まれるためには?」みたいな運営のハウツー記事のリンクとか。嫌になっちゃって。

 

「(中略)でも、一人の読者の人生を変えるより、一万人の読者を元気にするために、僕たちは寝ずに苦しむことだってあるんです」

 

(P65/L1〜2より引用)

 

まるで身も心も削るようにして物語を真摯に書きつづける作家がいます。そういう作品や作家に、たまらなく惹かれる。その引力を、願わくば誰かと共有したくて、私はこのブログをはじめたのでした。そして、作者・本・読者をつなぐ、文弥子のような人に、ああ、私はなりたかったんだと。

 

晃司の言葉が、文弥子の言葉が、イストワールが、私にとっての読書の意義を図らずも再認識させてくれる。これは4年前には絶対に得られなかった思いがけない収穫でした。初読のときの感想読みかえしたんですけど、設定がどうだの構成がどうだのブーブー言っていました。うるせえよ。小説にとって一番大切なのは設定でも構成でもなく作者のメッセージなんだよ!

 

再読ってすごいなと思いました(脳みそのオーバーヒートによって著しく下がる語彙力)。

 

設定がどうだの構成がどうだのブーブー言っていた記事はこちら

 

 


 

 

冷えピタ貼り換えてきました。つづけます。

 

さて、作家といえど“書けない”とあってはただのニート――というわけで、晃司は祖父とつきあいのあった園川家が営む喫茶店〈イストワール〉で住みこみのアルバイトをはじめます。イストワールとは、フランス語で「物語」を意味します。

 

あまりの衝撃に、晃司は言葉を失った。

自分が幸せになるために、他人を幸せにするために、本を扱っている。

そんなこと、誰からも言われたことがない。編集者にも、書店員にも。

 

(P78/L13~15より引用)

 

そう、ここは「純粋に本を読んでほしいから無償で貸し出しをしている」、貸し本喫茶なんですね。店内で自由に本を読めるだけでなく、1週間借りることもでき、さらには裏メニューとして有名無名の作家たちが商売を度外視した同人誌もあるとか。いいよねぇイストワール!毎日通いたい。働く側でもいい。今世あとどれだけ徳を積んだら来世でイストワールの仲間になれるんだ。参考にしたいから前世で積んだ徳リスト見せてよ晃司。

 

そんなイストワールで、中西有輝という女性客の恋の悩みをきっかけに“書けない”作家の晃司と臆病な司書・文弥子は成長していく――。

 

「そんなことないわ。一万人に同じような感動を与えるのは難しいことだと思うけど、十人の読者に共感を与えることはできる。人は、自分と似ている誰かに共感して、好きになって、一緒になるんだって。お母さんが言ってた」

 

(P230/L3~5より引用)

 

服屋で女性が2種類の服を比べて「どっちがいいと思う?」と訊くとき、彼女の中にはもうすでに答えがあって、このとき求められているのは「答え」ではなく「共感」である、という話、聞いたことありません?

 

北野唯我『凡人を殺す天才 職場の人間関係に悩む、すべての人へ』という本は、凡人の中にも〈共感の神〉というタイプがいると紹介します。曰く、共感の神とは「あまりに共感性が高いため誰が天才なのか見極められる人」であり、人々に理解されないがゆえに死を選ぶ天才は彼らの理解とサポートによってここにいつづけることができる。

 

私は5年ぐらい鬱を患ったことがあるのですが、しんどいときになにより救われるのは「がんばって」ではなく、「今までがんばったね」「これから一緒にがんばろう」という、やはり共感の言葉なんですよね。薬やカウンセリングではなく信頼できる人からの理解で快復した私です。人の心を救うのは、人の心。晃司の言葉は正しい。

 

となると、やっぱりできるだけたくさんのことに共感できたほうが人生は楽しいし美しいんだと、私は思うんですよ。

 

フィクションというフィルターをかけることでより直接的に作者の主観とメッセージを訴えることができる、それが小説だと私は考えています。そんな、いわば具現化した他人の心に物理的に触れながら、残りの人生、共感できることをできるだけたくさん増やしていけたらいい。

 

共感によって救われ、成長していく彼らを見て、そんなふうに思ったのでした。

 

 

 


 

 

「(中略)だから私は、本を使って提案をするの」
「提案?」
「私の手では触れられない、私の言葉では届かない部分に、もしかしたら届くかもしれない物語を」

 

(P779/L11~15より引用)

 

人に本を紹介する、というのは誰にでもできます。あらすじの要点さえまとめられれば、あとは本そのもののポテンシャルに任せればいいんですからね。だけど提案するというのは、本の持ち主に対する信頼がないと絶対に次の読者へつながらない。本を提案する。それは私がブログを書きつづける理由でもあります。おもしろいから読め、じゃなくて、大好きなもの・大切なものだから読んでほしい(読みたい)。人とは、本とは、いつもそういう関わりでありたい。

 

文学は苦しみの中からしか生まれない、と聞いたことがあります。ならば、文学を読む者もまた、きっと苦しみからしか生まれない。

 

私はね、この本、255ページ全部の言葉が好きなんです。一字一句あますことなく。初読のときも引用したし、今回は泣いた。ボロ泣き。本を、物語を愛してきた人なら必ず共感できる1ページだと確信してる。

 

ここまで約3000文字のおつきあい、もしも私に共感してくれて、私を信頼してくれる人がいるのなら。

 

私の大好きで大切な言葉を、苦しんでいるあなたにぜひ、読んでほしいのです。

 

 

集英社オレンジ文庫のwebサイトで試し読みができるそうですよ!

http://orangebunko.shueisha.co.jp/book/4086800225

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。