胡仙フーシェンというキツネがいる。中国の民間信仰に登場する神通力を持ったキツネのことで、たとえば河北省滄州市の楽城県にあった県城の奎星楼には古くから胡仙がいると信じられている。この胡仙は酒を飲んで暴れたり不信心な者に危害を加えたりするとも、また良薬を与えたり盲人の目を見えるようにしてやるともいわれた。

 

同じように、私たちの国でも妖怪とは総じて凶事と吉事の側面を併せ持つ。まだまだ科学が未発達だった時代、未知の現象は妖怪のしわざであったはずが、科学の発展とともに単なる娯楽として消費されるようになった歴史そのもののように。

 

ホラーとはなんだろう。宮田光『沼の国』を読んでいるとたびたびその根本的な疑問にぶつかる。物語の鍵を握る「ぬまんぼ」とは、町の人々にとって妖怪そのものであり主人公・亮介の恐怖の対象だったが、同時に姉の瑠那にとっては信じるに値しないくだらないただのうわさ話であり、弟の大哉にとって友達だった。では瑠那と大哉の恐怖とはなんだったかというと、それは母が引きよせる「男」という存在であったり、そこから生じる暴力や寂しさだったりする。ということが次第に明らかになる。

 

亮介は大哉が慕う父を心底憎んでいたし、一方で、瑠那は亮介が拠り所にしていた父を心底憎んだ。

 

ホラーとはなにか?と問われれば、たいていの人間はひとまず、便宜上は「幽霊や妖怪など人間の理解が及ばない存在・現象」とでも答えるだろう。だが、人間とは私でありあなたであり、誰かである。人間の理解が及ばない存在をモンスターと呼ぶのなら、モンスターはすなわち、人間の数だけ無数に存在するということになる。一般的にホラーとされているものは、たまたま大多数の人間が恐怖を感じる一般的な概念というにすぎない。

 

というわけで、『沼の国』はまぎれもなくホラー小説であり、同時にある意味では男、女、父、母、息子、娘、姉、弟……さまざまな役割にまとわりつく運命を克明に描いた家族小説だとも思う。

 

版元は二見ホラー×ミステリ文庫だが、作品をどこに位置づけるかは読者それぞれに委ねよう。

 

ただ、あなたがこの物語の中で感じた恐怖ホラー、「ぬまんぼモンスター」とはなんだったのか、その理由だけはどうか大切にしてほしい。

 

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佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。