「まだふっくらしてるよ。ここの大福、豆が本当にうまいんだ」

 

私が好きになる小説はいつも決まってなにかを食べている。物語のさして重要ではない場面で、丁寧に、とても美味しそうに。瀬尾まいこ『傑作はまだ』では大福が、主人公の加賀野こと〈俺〉と、生まれてから25年間一度も会ったことのない息子・智をつなぐある種のキーワード、いや、キーフードになっている。「人」を「良」くする、で「食べる」だと昔誰かが言っていた。2人をとりもつのは大福。「大」きな「福」である。

 


 

“普通”のことを書く人が、これでもかというくらい大真面目に書く人が、私は好きなのだと思う。それは長いあいだ対人恐怖症と鬱で散々自分と人とを傷つけ、皆の人生や日常をないがしろにしてきた反動なのかもしれない。しかし日常ミステリーというジャンルが盛りあがる一方で、真摯に普通でありつづける日常小説の評価はといえば「つまらない」「現実を見ていない」「都合がよすぎる」など、残念ながら芳しくない。

 

つまらない。現実を見ていない。都合がよすぎる。もちろん気持ちはわかる。痛いほど。だけども、一方で私たちは常日頃はたしてそれほど自分たちの“普通”に注視して生きているんだろうか?

 

ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランドによる『FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(上杉周作、関美和・訳)を、ちょうど今読んでいるところ。冒頭では人口や貧富、教育、保健、環境など「世界の事実」について全13問さまざまな問題がクイズ形式で出題され、その正解率が解説されるのだけれど、なんと世界各国正解率が70%以上と安定した問題は地球温暖化に対する質問のみ。その他12問の正解率はランダムに答えを選んだチンパンジーにも劣ったといいます。

 

また、それぞれの3択問題には不正解の選択肢が2つあるが、チンパンジーはどちらも同じ確率で選ぶ。かたや人間はというと、不正解の2つのうち、よりドラマチックなほうを選ぶ傾向が見られた。ほとんどの人が、世界は実際よりも怖く、暴力的で、残酷だと考えているようだ。

 

ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド『FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(上杉周作、関美和・訳)より引用

 

ハンス・ロスリングはこれを「ドラマチックすぎる世界の見方」と呼び、「世界はあなたが思うほどドラマチックではない」と記している。それはまさに〈俺〉がスターバックスで受けたのと同じ衝撃だ。うしろにならぶ人々など意に介さず大きな声でマイペースにゆっくり注文する女子高生を見て、〈俺〉が「最近の子は声がでかいんだな」と眉をひそめるシーン。

 

「きっと、あのばあさん、うっかりスタバに入っちゃったものの、この雰囲気にどうやって注文するのか戸惑ってるんだよ。だから、こういう感じで注文するんだよってわかりやすく示してるんじゃない」
「は?」
「は? って。だから、ああやって大きい声でゆっくり注文すれば、ばあさんもなんとなくオーダーのやり方がわかるだろう?」
あのとんでもない女子高生が、そんなに周りを観察して気配りをするのだろうか。納得できずにいる俺に、
「普通だよ。後ろに戸惑ってる人がいたらそれぐらい誰でもやる」
と、青年が言った。

 

“普通”のことを書く人が、これでもかというくらい大真面目に書く人が、私は好きなのだと思う。誰かが物語にして、文字にしないと、私たちはいとも簡単にそのあたりまえを見失ってしまうから。

 


 

読むことに関してはこれだけの文字数を費やして「好きだなー、好きすぎるわこれ」と盛大なひとりごとを綴っている私ですが、書くことに関しては日々、どんどん文字数が減っていくなと感じています。

 

自分が一から生みだす物語については、つまるところ、削って、削って、どれだけ少ない言葉で人の心を動かせるか?という追求をしているのかもしれない。たとえば誹謗中傷の言葉は短ければ短いほど人の心を(悪い方向に)動かす。もしかしてショートショートにブラックユーモア的な話が多いのはこういうところに由来するのかもなーとか思いつつ、だったら私は、それをプラスイメージで成し遂げたい。

 

そうやって削って、削って、削っていくと、私の物語に残るものは基本的に、やっぱり“普通”ばっかりだ。それをインターネットの大海に放流して数字がデータ化してしまうと、自分の大好きな“普通”とはいかに世間から需要がないか、ありありとわかる。

 

「悲しい気持ちになるだけなんだから、病気や死なんて書かなくていいじゃん。そんなの、生きてればどうしたって出くわしてしまう。架空の世界でまでそんなものに触れたくないよ」

 

日常小説に、多くの需要はないかもしれない。それでも私は“普通”の物語が好きだ。大好きだ。読みたいし、書きたい。そういう小説があることをできるだけ伝えていきたいと思っている。

 

現実の世界は小説よりもずっと善意に満ちている。

 

こんなにもまっすぐな言葉を、物語を、受けとめて泣いてしまうほどの優しさが自分にもあったのだと気づいたとき。そのときの救われたような気持ちを、私は、知っているのだから。

 

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Writer
佐々木 麦 Sasaki Mugi
小説を書いたり、読んだ小説についてあれこれ考察をするのが趣味です。雑食のつもりですが、ユニークな設定やしっかりとテーマがある小説に惹かれがち。小説の他に哲学、心理学、美術、異形や神話などの学術本も読みます。